(※このエントリは、Yoshidaが2011年08月に個人ブログ(http://genpatsu.sblo.jp/archives/201108-1.html)で発表したテキストに東間が編集を加えて転載したものである。一部の追記部分を除いて、時間の経過や福島原発の事故収束作業の進展に伴って明らかになった事実、発生したさまざまな事象の影響等は必ずしも反映されていない)

【チェルノブイリ原発事故と福島原発事故の比較に関して】

3月の事故以来、様々な場面でチェルノブイリとの比較が取り上げられているが、調べてみると色々と誤解も多いので、自分なりの考察をいったんまとめてみようと思う。

1.チェルノブイリの汚染区域に関する誤解について。

「55万ベクレルを超えたらチェルノブイリの強制移住区域だ!」
最近こんな表現をよく目にするのだが、どうも色々と誤解があるのではないかと思う。話の出所は恐らく京大原子炉実験所助教である今中哲二氏の研究だろうが、誰がこれを曲解して「強制避難」と言い出したのかはよくわからない。今中氏のチェルノブイリ研究についてはネット上にアップされたものがあるので、参照してほしい。


【ベラルーシにおける法的取り組みと影響研究の概要】
ウラジーミル・P・マツコ、今中哲二

今中氏の報告(以下、「ウラジミール、今中報告」と記す)を読む限り、まず、「55万ベクレル以上で強制移住区域」とはどこにも書いていない。2次移住区域とあるが、強制の文字はない。そしてもう1点、実際にこの区分による政策が始まったのは「ベラルーシ最高議会の採決が1991年末」つまり事故約5年後ということになる。この部分はほとんど知られていないように思う。

「チェルノブイリでは事故すぐに避難させたのに、日本は~」
という話も繰り返されているが、事故直後に避難の対象となったのはあくまでもチェルノブイリから半径30km圏内の住民だけであって(しかも避難完了まで2週間近くかかった場所もある)、その外側の高濃度汚染地域、所謂ホットスポットに住むウクライナやベラルーシの人々は約5年のあいだソ連政府から放置され続けた(よく知られている通り、それら汚染地域では子供の甲状腺障害の増加が顕著になった)。民主化を経た91年末の議会決定は、中央政府の政策=放置への反発、当て付けという面がある。

では実際のところ、移住政策は進んだのだろうか?次の資料を見て欲しい。 
 

今中哲二【チェルノブイリ原発事故から11年】
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/Gnsk12.html 
 

これも今中助教の報告だが、移住政策が始まる前、事故後4年が経過した1990年のそれぞれの汚染区分における人口が書かれている。55万ベクレル以上というのは「表2:汚染地域の住民数」に対応するが、ベクレルではなくキュリーという単位で書かれている。この場合1キュリーは37Gベクレルであり、1Ci/km2=37kBq/m2という事になるから15~40キュリーの地域が55万~148万ベクレル平米の地域に対応する。そこには23万人の住民が居住と記されている。

次に、IAEAのチェルノブイリ20周年調査報告書の25ページを見て欲しい。
http://www-pub.iaea.org/mtcd/publications/pdf/pub1239_web.pdf

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ここには1995年の同地域での人口動態が乗っている。555~1480kBq/m2の地域に住む人口は19万3千人である。2次移住地域と指定されたにも関わらずたった4万人しか減っていない。さらに、現在これらの地域で移住政策が進み、人の避難が完了したのかといえば、そうでもない。55万ベクレル平米以上区分に入っている都市をwikipediaで検索すればすぐに出てくる。

例えば、ロシアのノボズイブコフという都市は現在(2010年)でも4万人の住民が住んでいる。http://en.wikipedia.org/wiki/Novozybkov

ベラルーシの町でもNarovlyaは(2005年)で8千人の住民が住んでいる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Narovlya

「55万ベクレル=強制移住地域」と盛んに喧伝され、NHKでさえも番組中にそのような表現をしていたと記憶している。視聴者側の印象として、「旧ソ連のチェルノブイリよりも酷い汚染で、しかも避難できていない」という印象を与えた点で、こうした報道は色々と誤解を生んだのではないか。また、事故後5年経過しての政策という認識の部分がごっそり抜け落ちていたことも大きな問題であろう。

また、一部で空間線量が0.57μSv/h以上になる柏や群馬においても、「55万ベクレル以上の汚染なのだから強制避難するべき」という主張が存在するが、これも上記の誤解の上に更に誤解を積み重ねた論であると言える。彼らの論拠は前掲ウラジミール、今中報告における以下の区分けからきていると思われる。



「移住(第2次移住)ゾーン:セシウム137、ストロンチウム90、プルトニウムによる土壌汚染密度がそれぞれ555~1480、74~111、1.85~3.7kBq/m2(15~40、2~3、0.05~0.1Ci/km2)の地域。年間の被曝量は0.5レム(5ミリシーベルト)を越える可能性がある」
 

この部分を抜き出して、最後の年間被曝量から計算することで大きな勘違いが生まれてしまったのではないか?要するに、当初日本が採用していた土壌汚染濃度は、土壌1kg当たりという計測方式であり、これがチェルノブイリの「kBq/m2」とどう相関するのか判断できなかった。故にウラジミール今中報告の年間被曝量から逆算する人が現れ、年間5ミリシーベルトの場所は55万ベクレル以上ということになってしまったのである。空間線量0.57μSv/hの場所は単純に×24、×365すれば5mSvなので55万ベクレル以上の濃度なんだという計算である。

以上のような発想は、2つの間違いを犯している。

1つは、現在、福島原発事故において空間線量に寄与する代表核種はセシウム134と137であるが、チェルノブイリ事故5年後の当地における代表核種はセシウム137に限られている部分だ。セシウム134は半減期が2年であり、5年の歳月で5分の1にまで減少し、また次の2年で更に半分減るので、代表核種としては事故5年後のチェルノブイリでは重要視されていない。ここを無視している。

下記IAEAの資料99ページには、土壌1m2の放射性物質核種量から空間線量を求めるための換算式がある。(http://www-pub.iaea.org/mtcd/publications/pdf/te_1162_prn.pdf )

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表で示されたmSv/hとkBq/m2の係数を使うと、セシウム134はkBq/m2に0.0054を、セシウム137は0.0021を掛けると、空間線量(μSv/h)が分かる仕組みになっている。仮に555kBq/m2のセシウム137を計算すると1.1655μSv/hという数字が導き出される。単純計算すれば、年間10mSvということになる。何故、チェルノブイリの区分では、これで年間5mSvということにしたのかと言えば、住居による放射線の遮蔽係数等を考慮に入れたからであろう。0.57μSv/hで年間5mSvという主張をする人々は、遮蔽係数という考え方を全く無視している。これが第2点の錯誤である。

また、ウラジミール、今中報告には旧ソ連が出した緊急措置的な被曝限度が書かれているが、それは「事故の1年目10レム、1987年5レム,1988年3レム、1989年3レム、1990年0.5レム:うち外部被曝と内部被曝が50%ずつ」というものである。1レムは1レントゲン(10mSv)であるから、1年目は100mSv、2年目は50mSv、3~4年目は30mSv、そして5年目に5mSvということで、事故発生年に5mSvという訳ではない。

「ソ連は5mSvを避難基準にしたのに、福島は20mSvなんて非人道的だ」

故に、上のような意見は端的に誤っている(もちろん20mSvそのものの実際的危険性は問わないし、あくまでもチェルノブイリと比較して非人道的な措置か否かの問題として、だが)。加えて、そもそもソ連の5年目に年間5mSvという被曝限度が達成できたか否かは、上記の状況を見ればかなり否定的に捉えられる。(注1)

では福島原発事故ではどのような計算をするべきであろうか?

現在、関東各地で計測される空間線量で支配的なのはセシウム134の方である。今回の事故ではセシウム137と134はほぼ同じ量放出されたと考えられており、事故後3ヶ月でセシウム134の方が約1割ほど減っている事を考慮しても、137の2倍以上の線量をはじき出す。

年間5mSvだと騒がれている0.57μSv/hの場所におけるセシウム134と137のBq/m2を計算するならば、セシウム137が80kBq/m2、セシウム134が75kBq/m2くらいの場所で丁度0.57μSv/hという空間線量になる。ただ、これは自然放射線を含んでいない(実際0.05μSv/hくらいは宇宙線などの放射線)ので実際はもっと低い値になるだろう。するとセシウム137で55万ベクレル平米(555kBq/m2)とはおよそ7倍も差がある訳で、余りにも過剰な評価ということになってしまうのである。

では、555kBq/m2の地域というものを一体どう判断するかなのだが、正確にチェルノブイリとの比較を試みるならば、文科省と米国DOEの航空モニタリング調査が最も適しているだろう(チェルノブイリの汚染地図も航空モニタリングによる空間線量から逆算して作られたのだろうし)。

以下のCs134、137合計の文科省マップを使うと大まかにチェルノブイリとの比較ができる。Cs134と137は2011年7月末時点で比率が9:10くらいであろうから、この地図上で3000kBq/m2-を示す赤色の地域を1480kBq/m2-の地域に当てはめ、1000KBq/m2-と書いてある黄色い部分を555kBq/m2-と解釈、更に300kBq/m2-の水色の地域を少々保守的であるが185kBq/m2-と解釈、さらに60kBq/m2-の地域を37kBq/m2-と解釈すれば、ほぼチェルノブイリの汚染区分と比較できる地図ができる。

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(文科省及び茨城県による航空機モニタリングの測定結果について)
http://www.pref.ibaraki.jp/important/20110311eq/20110830_01/files/20110830_01a.pdf

上記モニタリング結果を基にチェルノブイリにおける汚染区分地図を同縮尺で福島に当てはめた結果(文科省&DOE調査における栃木、宮城の修正後の汚染地図比較)。

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 文科省とDOEの調査で群馬、埼玉、千葉の地図が追加された後、チェルノブイリの欧州全体における汚染との比較図も以下に作成。2kBq/m2以下の場所に関してはnnistarさんの地図などを参考にしたが、精度としてはちょっと怪しいかもしれない。
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この地図を見る限り、年間20mSv(3.8μSv/h)として線引きされた「計画的避難地域」とは、正にチェルノブイリにおけるセシウム137の555kBq/m2以上の地域と一致すると考えて問題ないだろう。ソ連政府が5年間以上放置し、5年後、ベラルーシ政府が2次移住地域に設定したが住民が避難した訳ではない555kBq/m2-1480kBq/m2の地域を、日本においては計画的避難地域にしようということである。

ちなみに、あくまでも参考として現在の空間線量1μSv/hの地域(セシウム134、137が同量と仮定)における線量の変化を下記に記す。
 
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話を戻そう。チェルノブイリでの事故において、「5年間放置された」という部分がごっそり抜け落ちたまま、「55万ベクレル平米以上で強制避難」という説が広く流布してしまった為、「事故後すぐに上記の区分で避難したにも関わらず、子供の甲状腺癌などの重大な健康被害がチェルノブイリでは起こった」という誤った認識が広く流布してしまった感もある。そこから「福島ではチェルノブイリよりも遙かに深刻な事が将来起こる」という不安感が醸成されてしまっているなら、これは見過ごせない問題である。


(2013年6月28日、筆者追記)

(注1)の部分で、事故後5年で5mSvの線量低減の達成を「否定的」としているが、チェルノブイリ事故における周辺の空間線量は雨風等よって自然に除染がなされたそうで(放射性崩壊によらない自然減衰)、特に都市部においてはそれが顕著だったそうである。例えば都市部のアスファルト上では数年後の空間線量が計算式よりも遥かに下がったという資料があり(togetter記事)、結局のところ5年後に5mSvというのは内部被曝を含めてもそれが達成可能な数値まで空間線量が下がった結果ということなのではないか?現在の福島の空間線量を見てもこれらの風化作用と思しき除染以外の低下現象が顕著で、だからこそ余計に事故当初の福島と5年後のチェルノブイリを比較することは更に大きな間違いを犯していたと考える。

また、同時に事故当初の福島汚染地図と比較したチェルノブイリ汚染地図に関しては、その調査がいつの時点なのかがテキストを書いた当初はわからなかったのだが、どうやら事故後、相当の期間が経ってからのものである可能性が高い。故に、自分が作った汚染比較地図は、かなり福島側に厳しくなっていると思われる。
 


2.チェルノブイリにおける実際の汚染とは?

前述のとおり、30km圏外住民はたとえ高濃度汚染地域でも5年後まで放置されている。また、内部被曝に関しても、ウラジミール、今中報告を見る限り、事故当初の食料摂取方針は、現在の日本で「汚染牛」と騒がれているものと同じで、セシウム137で「kg当たり3700ベクレルまでを安全」とした。粉ミルクに至っては「kg当たり18500ベクレル」という現在の日本ではとても考えられないレベルの緩い制限であった。しかも、チェルノブイリ原発周辺の村部などは普通に自宅で牛から牛乳を搾り、それを飲んでいたのだから、事実上これらの制限は無視されていたと考えられる。

とりわけ、事故直後のヨウ素131由来の被曝に関しては摂取制限が完全に失敗したと断定してよい。ヨウ素は半減期が8日間と非常に短く、従って初動の対応…最初の8日間の摂取制限に失敗すると、その後一生じゅうぶんな対策をしたとしても取り返しの付かない被曝をする結果に繋がってしまう。この点で、ソ連政府の事故対応には重大な問題があり、明らかに住民への説明が不十分かつ、不誠実だった。住民たち自身も原発事故による汚染の知識を殆ど持っておらず、それがさらに不幸を拡大した。

以下、IAEAのチェルノブイリ・レポート(ENVIRONMENTAL CONSEQUENCES OF THE CHERNOBYL ACCIDENT AND THEIR REMEDIATION: TWENTY YEARS OF EXPERIENCE Report of the Chernobyl Forum Expert Group ‘Environment’)113ページに子供達が甲状腺に受けた等価線量の表が掲載されている

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恐ろしい事に等価線量で10Gy以上(単純に考えれば10Sv、10000mSv)以上の甲状腺被曝をしてしまった子供が約150人いる事が書かれている。また1Gy(1000mSv)以上は5500人、200mGy以上は約30000人という数字になる。一方、福島では3月末に946人の子供に対して緊急甲状腺サーベイが行われ、以下のように50mSv以上の被曝は事実上認められなかった。(子どもの甲状腺被曝調査 理解の仕方 http://blog.goo.ne.jp/chemist_at_univ/e/d9b01d71ba0d3d3722081f6c93743cf9

結果として、ベラルーシでは年間の小児甲状腺癌の発生件数が年間数件だったものが事故後10年をピークに年間90件近くまで跳ね上がった。小児甲状腺癌の症例は全体で数千件にのぼったという。主に事故当初の食料制限ができなかった事が主因と考えられる。

これらに関連して最近よく目にする話に、「チェルノブイリでは子供達はソ連政府の計らいで夏休みにソ連各地に疎開することができた」というものがある。重要なことなので繰り返し記すと、ことヨウ素131の甲状腺被曝においては、最初の8日間で避難できず、また食料の摂取制限ができなかった時点で、多量の被曝が取り返せないという意味では、残念ながら疎開の効果は無かったといってよいだろう。

さらに、臨界中の原子炉が爆発したチェルノブイリの事故では、半減期の短い(極めて放射能の強い)核種が多量に飛散しており、特にジルコニウム、ニオブ等の空間線量の寄与率が事故後数十日のあいだ支配的だった点は、1ヶ月後にはセシウムが代表核種になった福島と大きく異なっている。初期被曝が人々に与えた影響を考えるならば、チェルノブイリと福島とでは単純比較できない点があまりに多い。

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※ヨウ素131の場合、事故発生より約1ヶ月しっかり対策をすれば9割の被曝を抑制できる。

また事故発生時30km圏内にいた住民で、事故2日後の避難が行われたのは原発から6kmにあるプリピャチ市の住民だけである。30km圏内全域の村部住民が避難するにはさらに2週間を要し、そのあいだに多くの住民が重大な被曝を受け続けている。どの程度重大かといえば、2日後に避難することができたプリピャチ市民の中にも急性放射線障害の入院報告が多数存在するほどのレベルである。

プリピャチ市内の放射線量に関しては様々な説があるが、軍隊の計測によれば、事故当日の昼には市内の公園で2mSv/hを記録し、数値が跳ね上がった深夜にはなんと70mSv/hを記録した場所すらあったとの証言がなされている(動画の9分25秒以降参照)。



福島原発事故の場合、決死の接近で原子炉建屋へ放水を行ったハイパーレスキュー隊が爆発後の3号機建屋近くで計測した線量が70mSv/hである。約4km離れた市内で一部とはいえこの数値が出るという事態の途轍もなさが理解できるだろう。

ちなみに、福島事故において短期間で100mSv以上の被曝をし、一時的な白内障など急性放射線障害を疑われる症状を起こした人は、事故直後の収束作業にあたった作業員数名だけである(2011年3月12日、1号機のドライベントを試みて106mSvの被曝をした作業員1人が吐き気やだるさを訴えて緊急入院し、同3月24日には3号機タービン建屋へ入った作業員数人が高濃度汚染水に足を接触させてしまい、β線熱傷と診断された)。それらのケースを除けば、原発作業員も含めて現時点で深刻な急性放射線障害の患者は発生していない。

では、チェルノブイリ事故は一体どれだけの急性放射線障害患者を出したのだろうか?
以下、今中助教の報告を再び取り上げる。

今中哲二 【チェルノブイリ原発事故】
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/Henc.html
今中哲二、小出裕章【周辺30km圏避難住民の外部被曝量の評価】

今中氏の【チェルノブイリ原発事故】で、「事故直後の放射線障害に関する共産党秘密議事録からの抜粋」という部分を見ると、入院患者が指数関数的に増えていく凄まじい実態が垣間見れる。数千人が入院し、数百人が急性放射線障害と診断されたとあるが、実数に関しては不明な点も多い。ただ、この報告だけ取り上げても、急性放射線障害で入院した人々が大きな後遺症を抱えた事は想像できる(共産党秘密議事録の元資料は日本語でも出版されている→アラ・ヤロシンスカヤ A. Yaroshinskaya「チェルノブイリ極秘―隠された事故報告」)。

また原子炉を封じる為にかり出された軍人やリグビダートルの作業環境や被曝も、福島とは比較にならない。原子炉をすっぽりと覆う石棺を建設するため、「バイオロボット」となって原子炉建屋屋上のガレキ撤去にかり出された作業員は、空間線量「推定70Sv/h」の屋上で、表面線量「15Sv/h」の黒鉛ブロック片を「手作業」で片付けた。作業時間は2分以内と定められていたらしいが、屋上に出ただけで全身の感覚に異常をきたし、また、ガレキをつかんだ手は無数のナイフで突き刺されたような痛みを覚えたという。



汚染に関連して、「福島の高濃度汚染地域はチェルノブイリのレッドフォレストを越えている」といった意見も散見されるが、それはあくまでも「現在のレッドフォレストの空間線量」を越えたということだ。基本Twitter等で拡散される話題はこの手のものばかりで、他にはチェルノブイリ事故の当時、「東京」で観測されたセシウム降下量との比較等々、付帯条件を付ければ間違いとは言えないが、無用な誤解を与える表現が目立つ。

ちなみに、レッドフォレストと呼ばれる立ち枯れした森林で事故直後に何が起こり、どのくらいの汚染があったのかは、前掲したIAEAチェルノブイリ・レポートの127ページに簡単な図が記載されている。
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上図で、原発から2kmほどの位置に毎時100レントゲン(=1Sv/h)の場所があるが、ここが所謂「レッドフォレスト」だ。事故当初の空間線量1Sv/hということは、4時間も滞在すれば人が死んでしまうレベルの高濃度汚染地域ということになる。福島第一原発の場合、構内でもっとも汚染された設備表面(1、2号機の排気筒で10Sv/h超)くらいでしかこのレベルの線量はお目にかかれない。両者を比較すれば、森への汚染がいかに強烈だったかが分かる。また同レポート146~147ページにはチェルノブイル原発周辺における核種汚染の度合いが細かく記載されている。

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レッドフォレストと呼ばれる場所の汚染濃度を見ると、事故10年後の1997年調査でさえセシウム137とストロンチウム90がそれぞれ20000kBq/m2以上、アメリシウム241、プルトニウム239、240がそれぞれ400kBq/m2以上という大変なものである。福島のケースでは、現在のところストロンチウムは原発周辺でわずかに観測されるだけであり、アメリシウムやプルトニウムに至っては、米ソ中の核実験で過去に降下して沈着したものと殆ど見分けが付かない程度だ。

一時期、北米大陸まで福島原発の3号機爆発によってプルトニウムが飛散したというトンデモ理論がTwitter等で散見されたが(【あやしい】米国でプルトニウム・ウランが検出される:過去20年間で最大値【注意】 http://togetter.com/li/128687)即座に専門家によって否定されたことを付け加えておく。

臨界暴走から大爆発に至ったチェルノブイリでさえ、プルトニウムの飛散は概ね原子炉30km圏に限定され、周辺諸国で観測されたという話は聞かない。(上図が示すように)原子炉2kmの地点に40万Bq平米のプルトニウムが観測されるほどの爆発でさえ、広域には飛散していない状況だ。福島の場合、原発周辺でさえ殆ど観測されないプルトニウムが米国まで飛散しているとなぜ考えられるのか理解に苦しむが、まあここで議論するような事でもないのかもしれない。


3.今後の対策等はいかになされるべきか?

以上、個人的に理解可能な範囲でチェルノブイリ原発事故との比較を試みたのだが、巷間に流れる情報の多くが誤解に満ちていることを分かっていただけたろうか?

最も大きな問題は、爆発から避難完了までの二週間余に多量の被曝を受けた人々の存在を全く無視し、ベラルーシ政府が事故後5年経ってまとめた汚染地域区分のみをもって現在の福島と比較しようとする点である。現在のウクライナやベラルーシで放射線障害の後遺症に悩む人々は多い。だが、それは、事故当初のソ連政府が致命的に対応を誤ったおかげで一般住民までが急性放射線障害を引き起こす程の被曝をしたことに主な理由がある。初期に大きな被曝をせず、後から移住を促された人々の調査…つまり低線量長期被曝の知見ではない。

また、ベラルーシ政府の汚染区分に関しても、「初期被曝がない状態でその地域に住み続ける事」のリスク統計は当然存在しない。私自身の印象を述べると、事故後5年経過してから新たに汚染区分を作り、(徹底されたとは言い難いが)人々の移住を進めても、放射能が年代と共に指数関数的に少なくなるならば最初の5年に何も講じなかった時点で手遅れであり、正直、単なる付け焼き刃ではないかと考えている。住民の健康への配慮よりは、中央政府であるソビエト連邦に対する反発の方をより強く感じてしまう。

もちろん、不要な放射線を浴びない事はリスクを減らす上で非常に重要なことだが、確定的知見のない汚染区分で一体何が解るのかという疑問もある。この低線量長期被曝に関してはECRRのスウェーデンにおける研究等が一部盛んに取り上げられていて、120kBq/m2程度のセシウム137汚染でもガン発生率が増大する等盛んに喧伝されているのだが、それも以下のブログに書いてある通り、学問として非常に怪しく疑問点が多い。


buveryの日記
【2011-05-20 ECRRの福島リスク計算は妄想の産物】

むしろ、これから低線量長期被曝に関してしっかりとした知見を得るため、福島原発の事故と比較するに相応しい例を挙げるならば、チェルノブイリとほぼ同じ時期にブラジルで起こったゴイアニア事故の方ではないだろうか?


原子力百科事典ATOMICA【ブラジル国ゴイアニア放射線治療研究所からのセシウム137盗難による放射線被ばく事故 (09-03-02-04)】http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=09-03-02-04


チェルノブイリ事故の場合、さきに見たように土壌の長期汚染はセシウムに限らず、ストロンチウム、プルトニウム、アメリシウム等も深刻な数字なのだが、対してゴイアニア事故は汚染源の核種がセシウム137一つに絞られるという点では福島の状況に近い。

また、ソ連からCIS、そして民主化をへて独立といった一連の政治的混乱による影響も無く(ソ連崩壊は、平均寿命の低下、自殺者の増加等、人々の生活に大きな影を落としたとされる)、その意味でも比べやすいのではないか。

ちなみに、ATOMICA掲載の資料を見ると、ゴイアニアにおける避難基準は以下の通りきわめて緩いものである。

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この基準を現在の福島原発周辺に当てはめると、飯舘村でさえ大半は非汚染地域に、原発構外に関してはほぼ全ての場所で、「妊婦などの制限付き開放」にあたる低汚染住宅地ということになってしまう。セシウム137で10μSv/hという線量は、単純計算で480万ベクレル平米という事になる。いまの我々からすればあまりに緩い基準だと思える値を設定したゴイアニアのケースで、その後、住民の健康に一体どのような事が起こったのか追跡することこそ、福島での低線量被曝について重要な知見となるのではないか。

しかし残念ながらゴイアニアに関しては自分が見つけられるような資料が少なく何ともいえない。数万人の追跡調査がされているとのことだが、もしもここで残留放射能による長期被曝の影響といえるような大量死でも発生すれば、曲がりなりにも民主主義国家であるのだから、何らかのリアクションがあるだろう。それが無いということは、少なくとも疫学上の重大なエビデンスは観測されていないということではないか?あったとしても疑義、査読が必要とされるレベルのものかもしれない。

さて、まだまだ書き足らない事もあるのだが、それは次回以降にしようと思う。