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 『ロベルト・デュラン "石の拳" 一代記』
クリスチャン・ジューディージェイ (著), 杉浦 大介 (翻訳) 

 
 四階級で世界タイトルを獲得したパナマの名ボクサー、【石の拳】ロベルト・デュランの伝説に彩られた人生を余すところなく描いた評伝が本書である。著者であるクリスチャン・ジューディージェイは、一つの事件に複数者の視点を当て、更には一族の逸話まで追い駆けてこの作品を完成させている。その情熱は至るところから感じ取る事が出来るが、それが空回りとなっていないのは、まるで優れたアウトボクサーのように対象と適切な距離を保ち続けたからだ。原題は『”HANDS of STONE” The Life and Legend of ROBELTO DURAN』。杉浦大介氏はそれを『ロベルト・デュラン【石の拳】一代記』と読み替えた。訳のセンスも素晴らしいが、ニューヨークで活動した元アマチュアボクサーである訳者のボクシングに対する情熱と知識も著者に劣らないであろう。それらが日本語版を見事に完成させる原動力となった事は想像に難くない。

 
 ところで、ラテンの人間に限らない事と思うが、途上国で満足な教育を受けていない人間の多くは、まるで挨拶のように嘘を吐く。恐らく嘘を吐いている認識さえないのではないか。数々の、場合によっては対立する証言で構成されたこの『ロベルト・デュラン【石の拳】一代記』も、(特に前半は)まるでガルシア・マルケスの小説のように虚と実が入り混じったような世界観で進んでいく。しかしボクシングファンならば多くが知っている「伝説」、例えばミドル級の世界ランカーをスパーリングでぶっ倒して見せたとか、或いは馬を殴り倒したとか、そういった事がどうやら真実らしいと分かると、デュランの存在自体に圧倒され、そこに完全なリアリズムが成立してしまう(ちなみにスパーリングの件は、アンジェロ・ダンディーという超有名トレーナーの証言付きだ)。

 デュランは典型的なラテン男。僕のような九州の男には分かり易いのだが、よく知りもしない者にも札束をばらまく太っ腹だったり、短気で喧嘩っ早かったり、友達思いだったりという特有のマチズモが、またデュランの場合は殊更に強烈だ。しかし、そのような強烈な男らしさには反面の女々しさが存在する(これも僕のような九州の男には分かり易い)。特にストーリーの前半、デュランのキャリアが上向きな時期にはこの男らしさも際立ってカッコいいが、かの「NO MAS」事件以降はその反面の女々しさも目立ってイラついてしまう。「ラテンの英雄」としての前半から、後半は「人間デュラン」としての存在が明確になってくるのだ。そのような両面故、デュランはろくでもない取り巻き連中を引き連れ、大事な仲間を失ってしまう。

 脇に登場するキャラクター達の存在感もまた際立っており、数々のエピソードはボクシングファンならば間違い無く楽しめる。好きなエピソードは数多くあるが、例えばエイズを発症して死の床にあるかつてのライバル、エステバン・デ・ヘススを見舞った際の振る舞いや、かつて自分にローブローで倒されたケン・ブキャナンに対する天真爛漫とも言える物言い、更には、トーマス・ハーンズとの、多くの者に「デュランは死んだ」と思わせた敗北後の再会の態度などは、デュランの人間性がよく分かって特に印象深い。「特有のマチズモ」と書いたが、そのスケールの大きさと人間味を堪能して欲しい。