前に訪れたのはいつだったか。
おそらく陰毛も生えていなかったころではないかと思う。 

入館していないのも含めると、最後に行ったのは高校の時分、卒業アルバムのための集合写真の撮影だった、気がする。

広島平和記念資料館である。
ついつい原爆資料館と呼んでしまうが、広島平和記念資料館が正式名称なのだ。 

ここ数年、原爆に対する興味が尋常ではないぼくにとってはいわば聖地のような施設である。すぐそばでは、博報堂が広告を請け負ったらしくいかにもポップでミーハーな「ひろしま菓子博2013」が開催されており、広島らしからぬ長蛇の列を作っているにも関わらず、しかも会社でペアチケット(1,800円×2)をもらったにも関わらず(興味ゼロなのでペアチケットは妹カップルに贈呈)、さらには川辺で弁当でも広げればさぞおいしいだろう清々しい初夏の陽気にも関わらず、陰鬱な入場料50円の原爆資料館、ではなく広島平和記念資料館を訪れた、揺るぎないアイデンティティを持つぼくである。 

とは言え、内容は言うまでもない気がする。 

戦局の流れ、原爆開発の起こり、実験、完成、投下場所の選定、日本各地への模擬爆弾の投下による訓練、原爆投下、敗戦、降伏、その後、という。 

ほんとうにひさしぶりに、全身が焼けただれ、幽霊のように両の手を前方へ突き出している蝋人形を見た。誰かがこれについてトラウマになるとか言っていたが、まあその気持ちはわからなくもない。

よくできている。
というか、トラウマになるくらいでちょうどいい代物だと思う。 

原爆の熱線で溶けたビンや瓦。爆風でねじ曲がった鉄骨。焼け焦げたお弁当、8時15分で止まった時計。

いろいろあったが、ぼくが何より圧倒されたのは、壁面に貼り付けられた、おおよそ高さ2m30cm×10mくらいの写真であった。 

それは原爆投下直後の広島の街、
おそらくは一週間も経っていないだろう写真であった。 

一言で言えば焼け野原。建物は近く遠く皆無で、それではるかかなたの山々があまりにも鮮明に望める状態になっている。ところどころ、人がまばらに、どこへ向かうのか歩いている。何ひとつさえぎるものがない街を、無常な風が吹き抜けてゆくびゅうびゅうという寒々しい音が聞こえてきそうである。 それは廃墟といえなくもないが、そんな言葉はあまりにも軽薄で申し訳なくなるほどだ。

圧倒的な虚無。
そこにはなにもない。
有から無へ、一瞬にして転じた、その痕跡。 

月並みな言葉だが、実際、ぼくはその写真の前で、動くことができなかった。
ただただ圧倒されていた。 

生とは何か。死とは何か。有ることと、無いことの違いは。戦争とは、暴力とは、破壊とは、人類とは。幸福とは、不幸とは。正義とは、悪とは。

大江健三郎は、原爆のことを「悪意」と呼んでいた。
人類史上最大にして最悪の悪意の発露、それが原爆であったと。 

ぼくはその悪意という語感に、素直にうなずける。
原爆が正しかったとか間違いだったとか、そんな二元論の話ではないと思うのだ。

そういった話ができるのは、どちらが強いとか弱いとかで語れる次元、たとえば殴り合って、お互い顔を腫らし血を流しながらも、まだ罵り合えるような余力があるときにこそ、そういう議論は意味を持てる。 

しかしこの原爆という代物は、そういった正義や悪の二元論自体をも吹き飛ばしてしまう異常なパワーを持っていると思うのだ。 

原爆が落ちた直後、人々は、火薬庫が爆発したのだとか、自分の近くに爆弾が直撃したのだと思ったという。しかしそれは、「お釈迦様でもご存じない新兵器」だった。

そう、神や仏さえも葬り去る、圧倒的な、超絶したパワー。
しかもいまでは、この広島型原子爆弾の何千倍もの破壊力をもった核ミサイルが地球上にごまんとあるのだ。そう考えると、核実験だとか、核の保有だとか、はたまた核の使用だとかは、もはや議論するしない以前の問題だろうと、ぼくは思う。 

だって、神も仏も無に帰す世界の、いったいどこに、人間の居場所があるものか。