大人は不快なことに対して直接訴えない。
ただ立ち去るのみである。
祖母はいつも7時30分くらいから朝ごはんを食べる。そして30分はごはんを食べている。そんな情報を母より入手した。ならば8時からごはんを食べよう。そうすれば、もう不快不愉快な朝ごはんタイムとはおさらばである。
起床。絵を描いて英語の勉強をして、7時30分。それから、ランニングにでかけた。ランニングは約20分。シャワーを浴びて約10分。ちょうど8時になる。完璧なタイムスケジュールである。心なしか、ランニングの足取りも軽い。気のせいか、瀬戸内海はいつにも増して穏やかである。
爽やかなハァハァを漏らしながら帰宅した。
さて、シャワーを浴びてごはんを…
…と思っていると、ちょうど祖母がごはんをよそっているところであった。
祖母はぼくを見て、「おはよう」と笑ったが、ぼくは声を失い、引きつった。
祖母の座るテーブルの定位置には、ごはんを待つ味噌汁が湯気をくゆらせていた。
それは、あたかも味噌汁がタバコを吸いながら、「悪いな、今日はいまからメシなんだ」と鼻で笑っているかのようであった。
呆然とした。
大袈裟だが、膝から崩れ落ちるような気分であった。
先日のブログを読んだ母が、そばで笑っていた。
「わたしゃあ、おかしゅうておかしゅうて…。いつもは7時30分ごろからごはん食べようるんじゃけど、おかしいこともあるもんじゃねえ、ああおかしいおかしいげらげらげら」
どうでもいいが、まったく、人生ってのはこういうもんだよなあとつくづく思う。養老孟司が人工と自然の違いは、ああすればこうなるのが人工、ああすればこうならないのが自然と言っていたが、いやいや、人工も十分にああすればこうならない。
「飯のかたいやわいもままならぬ世の中」という言葉があったが、まったくそのとおり、ほんの少しの、簡単なことでさえも、ままならないのが人の一生である。
「飯のかたいやわいもままならぬ世の中」という言葉があったが、まったくそのとおり、ほんの少しの、簡単なことでさえも、ままならないのが人の一生である。
しかし、このような家族、生まれて始めて接する家族という集団の中で、人はあらゆることを学ぶのだなあとも思う。喜怒哀楽は言わずもがな、衝突や葛藤、嫌悪や好感、屈辱や感謝など、それはもう、まさしく社会の縮図である。家族間のルールは家族間でしか通用しないというむきもあろうが、社会に存在する真理は確実に家族間にも存在する。
爆弾も桜の花も同じ重力によって大地に向かって、すなわち地球の中心に向かって落ちてゆく。そういう真理。この地球上に存在する限り逃れることのできない、例外無くすべてを支配する真理。真理とはそういうものである。
たかが咀嚼音と言うことなかれ。
たった2人の人間がいれば問題が起こり、争いが起こり、果ては殺し合いに至る。論理の飛躍ではない。少なくとも、ぼくは、ババア殺すぞ…と思ってしまったのだ。
キリストの言を待つまでもなく、思うということは現実の実行と大差がなく、それ自体で既に罪なのである。
地球上には約70億人の人間がいる。
問題が起こらないわけがない。
70億人口の、自乗の自乗の自乗の自乗の自乗…
…以下無限に続くほどの問題がそこここに溢れかえっている。
ため息が出る。
いや、ため息しか出ない。
しかし、
家族という集団は、
この歳になってさえ、
かくもたくさんの学びと気づきを与えてくれる。
ありがとう家族。
…なんて思えるわけがない。
爆弾も桜の花も同じ重力によって大地に向かって、すなわち地球の中心に向かって落ちてゆく。そういう真理。この地球上に存在する限り逃れることのできない、例外無くすべてを支配する真理。真理とはそういうものである。
たかが咀嚼音と言うことなかれ。
たった2人の人間がいれば問題が起こり、争いが起こり、果ては殺し合いに至る。論理の飛躍ではない。少なくとも、ぼくは、ババア殺すぞ…と思ってしまったのだ。
キリストの言を待つまでもなく、思うということは現実の実行と大差がなく、それ自体で既に罪なのである。
地球上には約70億人の人間がいる。
問題が起こらないわけがない。
70億人口の、自乗の自乗の自乗の自乗の自乗…
…以下無限に続くほどの問題がそこここに溢れかえっている。
ため息が出る。
いや、ため息しか出ない。
しかし、
家族という集団は、
この歳になってさえ、
かくもたくさんの学びと気づきを与えてくれる。
ありがとう家族。
…なんて思えるわけがない。