今井智己 Tomoki Imai 『 "Semicircle Law" #25 2012.12.2 / 13.5 km Mt.Okura.』 Detail.
マッチアンドカンパニー刊(2013年)画像出典: gadabout.jp
Chapter-1:結界の発生と消滅
福島・双葉町、2区域に再編 住民帰還、見通し立たず
2013.5.28 00:55 MSN産経ニュースhttp://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130528/dst13052801020001-n1.htm
東京電力福島第1原発事故で全域が警戒区域となっていた福島県双葉町が28日午前0時、放射線量に応じて「帰還困難区域」と「避難指示解除準備区域」の2つの区域に再編され、区域境界に設置されたバリケードが閉鎖され施錠された。これに伴い、県内全域で警戒区域は解消されるが、双葉町では再編後も人口の96%が住む地域が原則立ち入り禁止の「帰還困難区域」に含まれ、事故から3年目を迎えても、厳しい現実と向き合うことになる。
福島避難区域 再編完了も帰還見通し立たず2013.8.9 00:34 MSN産経ニュースhttp://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130809/dst13080900410002-n1.htm原発事故のため、福島県内11市町村で指定された警戒区域と計画的避難区域の再編は、8日午前0時実施の川俣町山木屋地区で全て完了した。だが、再編で新たな名称になった3区域は今も全て避難指示が続いたまま。除染の遅れなどから、住民の帰還は見通しが立っていない。3区域のうち、事故後6年は戻れない帰還困難区域は7市町村に及び、人口は計約2万5280人。居住制限区域は約2万4600人、避難指示解除準備区域は約3万4千人で、県内外の避難者数は約14万8600人となっている。
Chapter-2:「結界」の外側から
今井智己 Tomoki Imai 『 "Semicircle Law" #21 2012.10.26 / 17 km Mt.Hototoghisu. 』 Detail.
誰か、家を私に貸してくれませんか。原発までは、あとひとつ林をこした向うだ。副島隆彦「原発 報告文10 2011.4.01」
◆ 自身を日本の【民間人・国家戦略家(みんかんじん・こっかせんりゃくか)】だと称して奇矯な言論活動を展開し、【副島国家戦略研究所(SNSI)】を主宰する評論家、副島隆彦(以下、全て人名敬称略)が避難指示区域に進入し、福島第一原発周辺まで決死の接近を試みたのは2011年3月後半から4月初旬にかけてのことだった。
◆ 約一ヶ月後、政府は原子力災害対策特別措置法第20条第3項に基づき、福島第一原発からの20キロを原則立ち入り禁止となる「警戒区域」に、20キロ以遠30キロを「緊急時避難準備区域」と定めた。福島の土地に【結界】を張ると決めたのだ。チェルノブイリ原子力発電所の事故でいえば、【ゾーン】。
◆ 自らガイガーカウンターであちこち計測した結果を元に、「もう放射能は安全」「私は、現場に入って、現地で、自分の体で味わっている」「私、副島隆彦が、大丈夫、というのだから、大丈夫です」として勝手に安全宣言を出していた副島は激怒し、「政府は福島を全国の核廃棄物の最終処分場にする気だ」等々の飛躍した妄言を繰り返した(副島は他にも、発電所付近に被災者から家を借りて、「学問道場」なる活動拠点を作りたいとも訴えていた)。逆に、「緊急来日」した怪しげなヨーロッパのNPO団体などは、副島と同じような計測結果を基に、「フクシマは死の大地!チェルノブイリを超えている。即時非難を」と警告していた。
◆ そうした混乱の続く時期、【結界】(=警戒区域)が「出現」するちょうど前日の4月21日に、写真家の今井智己も避難指示区域の中にいた。福島第一原発から北西18キロにある手倉山(標高631m)へと機材を担いで登頂し、コンパスで原発が視界の中心、フレームの消失点に重なる位置を見定めていた。あと十数時間すれば禁忌の空白とされる場所、災禍の源を臨む地点からの眺望を、【風景】としてフィルムへ収めるために。
◆ それは、「安全」や「危険」をジャッジするためでも、「真実」を報道するためでもなく、一人の写真家の、記憶と写真と核災害の関係性へむけられたパーソナルな批評だった。晴れた空の下、半壊した建屋は西日を受けて白く光っていたという。
この撮影が、【Semicircle Law】プロジェクト最初の一枚になった。
今井智己 Tomoki Imai 『 "Semicircle Law"』 撮影地点図
◆ 手倉山へ登ったのち、2012年12月までの約二十ヶ月に渡って今井は定期的に福島へと赴き、【結界】を取り囲む阿武隈山系からの眺めを【風景】化してきた。その成果は、今年1月後半からタカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムで開かれた個展と、マッチアンドカンパニー刊行の【Semicircle Law】に纏められている。
◆ プロジェクトは、以下のような一定の条件に基いて行われた。
…選ばない、切り取らないという撮影のルールを見つけたことで、僕はこの撮影を始めることが出来ました。…山頂と原発を結ぶ一本の直線上にレンズの光軸を重ねてシャッターを押す。同心円的に引かれる円周上の他の山に登ってシャッターを押す。この20ヶ月間やってきたことはそれだけです。(IMAI Tomoki:note)
◆ 今井は、自身にこうした制約を課すことによってはじめて、「正当な意味で当事者でない」写真家として、福島の(…いや、正しくは、福島を中心とする)核災害に向き合う距離を測ることができたのだという。
…あの当時、分別のある写真家は、自分が当事者であるか非当事者かという、明瞭な線引きのできないグラデーションのなかで、自分の立ち位置を見定めていたのだろうと思います。…僕は自分の前に線を引き、外側つまり非当事者として、この福島を撮ってみようと思いました。当事者と認められる一線の外から、ある一定の距離からしか見ることが出来ないという条件があってはじめて説得力をもつものが作れるのではないか。(IMAI Tomoki:note)
◆ 「一線の外」「ある一定の距離」にそびえる山々の頂きからは、原子力発電所が視界に入ることは殆ど無い。震災直後、NHKや民放が定点カメラを主に設置していたのは30キロ圏内から僅かに外れる大滝根山なのだが(山頂には航空自衛隊のレーダー施設「大滝根山分屯基地」が所在している)、結果として、歴史的瞬間を伝え続けたことになるあれら報道映像は、周辺の最高峰(1192m)という好条件によって得られたものだ。
◆ 【Semicircle Law】を形作る25の【風景】においても、半壊した建屋はわずか数枚で蜃気楼のように朧な姿を現すに過ぎない。さらに何重もの覆いで外界から隠された炉心が封印していたもの、解き放たれ、大地や山河へと降り注いだ夥しいアトムの姿(人知の法はそれを【汚染 contamination】と呼んでいる)など、無論、見えはしない。
◆ では、我々はいったい何を【見て】いるのか?【見えて】いるものは、解像度の高いレンズによる硬質な撮影、高精細で絵画的な色彩のプリントによって表された阿武隈のパノラマ「だけ」だ。
◆ (こういう設定は馬鹿げているが)もし、何らの「前提」を共有しない人間たちにこれら【風景】を見せたとしたら、きっと彼/彼女はこう言うだろう。
「美しい写真だ。ちょっと構図が変だけど…」
それ以外、特に言うことは見つからないだろう。
Chapter-3:「見えない」風景のリテラル
◆ 「一線の外」から記録された25の【風景】には、一般的な興味はもちろん、(ありふれた高度さをのぞけば)写真表現としても目をひく要素はほとんど存在しない。一年八ヶ月のうちに四季は巡り、新緑の繁茂や降雪は眺望を変化させているが、【汚染】によって数倍から数千倍に増えたアトムの絶え間なき核崩壊、自然の法に従って姿を変えてゆくさまを写すことはできない。地球上のあらゆる場所に飛び交い、撮影者自身の肉体も貫く不可視の核放射線は、一定の決め事を基に計測され、計算された数字としてのみ姿を現す。(正確に記すなら、放射線自体を撮影する方法は存在しているし、空間内での密度が一定を超えた場合も、【写る】=【見える】のだけれども)
◆ だが、人々が「前提」を共有することで、【風景】は、瞬時に、まったく違うものに変化する。
◆ あなたがいま【見て】いるものは【核汚染】に晒された土地(ニュークリア・ランドスケープ)なのだと告げられた途端、観者は眼前の画面からさまざまなもの、…深淵な沈黙だとか悲劇的な雰囲気だとか、あるいは禍々しさだとか…、を感じとるだろう。【核汚染】という記号に紐付けられたあれやこれやの感情が、突如として生まれるだろう。具体的に何かが【見える】ようになったわけではなく、【見えない】ものの存在を知ったことで世界の認知が変化し、新たなイメージの層、レイヤーが生じるということ。今井は以上のプロセスに関して、「写真の後ろにフィルターをかけることで、写らないものを問うことも可能だと思っています」(「山と渓谷」 2013年6月号)と語っている。
◆ 原子核の物理に人為介入し、文明へと奉仕させる目論みの破綻が招いた結果に対するそうした視線とアプローチは、きわめて特異なものだ。フィルタをかけられた【風景】に満ちる沈黙と静謐は、【核】や【汚染】というイメージに関連付けられる、ありふれた、そしてうんざりさせられるステロ・イメージ(もしも知りたいなら、すぐにGoogle検索してみることだ)から限りなく遠く、さらには、これまで「報道」や「写真」などが原子力災害を表すときに用いたお決まりの手法とも大きく異なっている。
◆ 日本でも話題になった「現代写真論」の著者、元LACMAのキュレーター、シャーロット・コットンは、【Semicircle Law】で試みられた表現に関して、写真集に寄せたテキスト【なにも変わりなく、なにもかも変わりはて〔訳〕Sumiko Yamakawa】において、以下のように述べている。
これらの写真が痛切なのは、現状を把握することの困難さに対して、知りうる風景をなんとか可視化しようという人間の内なる衝動だからというだけでなく、核の実態とはまったく対照的な、虚構化され、美化されたかたちで現実を提示するよりほかない写真の不可能性がそこにあるからだ。意地悪く言えば、この原子力災害を表象できず、観者になにかを新たに知らしめることも、写真でしか見られないものを見せることもできないという点で、今井の写真は真にポスト・インターネット的、あるいはポスト・ポストモダン的といえよう。表面上は損なわれていない福島の風景とその実際の汚染とのあいだには深い亀裂があるように、今井の写真においてもまた、シニフィアン(意味するもの)とシニフィエ(意味されるもの)のあいだには断絶があるのだ。
◆ コットンがいうところの「核の実態」や、「この原子力災害」は、ある意味で、もう充分に【表象】されている。チェルノブイリと同じように。数多くの報道機関、数多くのジャーナリスト、数多くのNPO、数多くの奇人変人(副島のような)やアーティストや作家や詩人を含む市民、さらにはGoogle Mapsが、【結界】の内部を撮影し、共有し、アーカイブ化している。
◆ 津波によって破壊された土地の撮影で必ず使われる「画」と同じように、「この原子力災害」においては、「核の実態」が及ぼした結果として、「なにもかも変わりはて」て廃墟化した都市が悲劇の象徴としてピックアップされる。人々が避難したあとの【無人地帯 NoMan's Zone】の、唐突に中断された生活の断片が、さまざまに切り取られる。止められることなく鳴り続けるラジオや有線、開け放たれた/閉められたままのシャッター、準備万端で放置された卒業式、街中を彷徨う野生化したペットや家畜。そして、日ごとそれらが朽ち果て、自然に飲み込まれてゆく有様が定期的に報じられる。絶たれた日々の、絶たれ方が醸す巨大な不自然さは、観者に戦慄を与えずにはおかない。
◆ 津波によって破壊された土地の撮影で必ず使われる「画」と同じように、「この原子力災害」においては、「核の実態」が及ぼした結果として、「なにもかも変わりはて」て廃墟化した都市が悲劇の象徴としてピックアップされる。人々が避難したあとの【無人地帯 NoMan's Zone】の、唐突に中断された生活の断片が、さまざまに切り取られる。止められることなく鳴り続けるラジオや有線、開け放たれた/閉められたままのシャッター、準備万端で放置された卒業式、街中を彷徨う野生化したペットや家畜。そして、日ごとそれらが朽ち果て、自然に飲み込まれてゆく有様が定期的に報じられる。絶たれた日々の、絶たれ方が醸す巨大な不自然さは、観者に戦慄を与えずにはおかない。
◆ しかし、「画」には、目に【見え】る不自然さのあまりにも鮮やかなグロテスクさが故に、【汚染】の本質、…放射線や放射性同位体が【見えない】ということ、ではなく、【核】は単に【核】という物理でしかないというリテラルさ…、が意識しづらくなっている。宇宙のメカニズムに「意志」はない。津波や地震と同じように、天罰も予言もまったく無関係に、結果として人を排除することがあるだけだ。そこに過剰な意味を読み込むのは、人間たちの物語でしかない。文明が大地から消滅しようが動植物のサンクチュアリが生まれようが、地球は泣きも笑いもしない。
◆ 【見えなさ】について、今井の撮影から遡ること十数年前、もう一つの【結界】=チェルノブイリ原発の事故で強制避難が実施された【ゾーン】に分け入り、未だ【汚染】地へ留まって生活を続けている住民を捉えたドキュメント【プリピャチ】を監督したニコラウス・ゲイハルターは、撮影にモノクロ・フィルムを選択した理由を問われて、「放射能の見えない危険性を何らかの形でわかるようなものに表現したいと思ったから」だと答えていた。
◆ 廃墟の平穏に満たされた【ゾーン】の大地に残る【汚染】の、【見えなさ】の表象において、ゲイハルターの選んだ手法は忘れがたい印象を残し、映画としても素晴らしい。素晴らしいが、これも人間の物語であるという意味では、数多の【表象】と変わるところはない。
…決して視覚化されることの無い恐怖の質というものを、明晰なカメラによるシンプルな映像言語で浮かび上がらせる。「たいして恐ろしくない」ということがどれほどの悲劇であるのかを私たちは思い知る。
◆ 諏訪敦彦(映画監督、東京造形大学学長)が作品パンフレットへと寄せたテキストで述べるように、【プリピャチ】を支配している灰色の静寂は、忘却されつつあった事故の「恐怖」や「悲劇」へと、観る者を強く誘導する。そこで示唆されているのは、核管理の破綻によって発生した「ゾーン」が近代技術文明の黄昏を象徴するものであり、人類以後の、「彼岸」の世界であるということだ。永遠に失われた清浄の地。誰も彼もが同じことを口にする。あまりにも文学的で、あまりにも人間中心的。
◆ 【Semicircle Law】は、そうした認識から遠く隔たったところに位置している。提示される25の【風景】は、ゲイハルターたちの表した「彼岸」の露骨さよりも遥かに控えめで、遥かに寡黙だが、「恐怖」でも「悲劇」でもない、アトムへのオルタナティブな視点である。
…素粒子があって核子があって核があって原子がある。それは精緻で透明なネイチャーで、悪ではない。それぞれの法則に従って莫大なエネルギーを放出する。…最も近い場所は13.5km。最も遠い場所は31km。視線のまっすぐ先にはそれがあるように写真を撮った。その消失点はきわめて特異な点のように思われるかもしれないが、ほんとうは手前に見える樹々や山塊と同じネイチャーなのだ。これを決定的に損なわれた大地だと考えることもできるが、全き自然だと言うこともできる。もちろん、そこから人間を除けば。(IMAI Tomoki:note)
◆ 展覧会のステイトメントで、今井は上のように記述している。原子核反応は世界を構成する根本的なメカニズムであり、たとえ夥しい量の放射線が生物に致死的な影響をもたらすとしても、ネイチャーはネイチャーであり、悪でも、穢れでもない。【汚染 contamination】とは、ヒトの概念でしかない。
◆ シャーロット・コットンは、先に一部を引いた写真集のテキストにおいて、【Semicircle Law】が「核の実態」を、「虚構化され、美化されたかたちで現実を提示するよりほかない」ことを「痛切」と表現し、さらに「ほんとうに恐ろしい光景をもの語って」いるのだとも続けているが、それは、彼女が【見たい】もの、彼女にとってのシニフィエに過ぎない。本来ならばありえない環境が「その消失点」によってもたらされたことは文明にとっての「悲劇」だが、今井の写真が湛えるリテラルな神秘性(と仮に名付けよう)は、撮影者の思考がそこ「だけ」に留まっていないが故のものである。
Chapter-4:忘却とリマインダー
2013.04.22 / 12 km 『Mt.Higakure.』 撮影:今井智己 Tomoki Imai
※ Facebookで今井は、この日隠山からの撮影がシリーズの「一区切り」と明言している。
◆ 冒頭で示した通り、この8月9日をもって、日本から【結界】は公式に消滅した。それ自体は「原子力災害」の収束をまったく意味しないが、象徴的な区切りではある。
◆ これから先、「ある一定の距離からしか見ることが出来ないという条件」で撮影された【風景】を、その条件が成立しなくなった現実の中で見るとき、観者はあの春のことをどう思い出し(あるいは、思い出さないのか)、何を振り返るのか(あるいは、振り返らないのか)。
◆ これから先、「ある一定の距離からしか見ることが出来ないという条件」で撮影された【風景】を、その条件が成立しなくなった現実の中で見るとき、観者はあの春のことをどう思い出し(あるいは、思い出さないのか)、何を振り返るのか(あるいは、振り返らないのか)。
◆ 忘れるよりも、慣れるよりも早く【結界】は消え失せ、【空白の半円】は「空白」ではなくなったが、空白だった【風景】の実質は何も変わらない。季節は巡り、核の半減期は進み続ける。【見えない】ままに。
◆ 今井は、作品制作というものを、「リマインダーで在り続けること」「忘れそうになっても、何度も何度も思い出させてくれるものを作る」(IMAI Tomoki:noto)ことだとしている。
◆ 【Semicircle Law】は、消え去った「空白」の「リマインダーで在り続ける」ことができるのだろうか?あるいは、在り続けるべきなのか?間違いなく言えるのは、記憶することと同じくらい忘却することも人間の根源的な欲望であり、放っておけば、「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまう」ということ。
◆ 「ATLAS」の過去エントリでも何度か引いた岡崎京子の印象深い言葉は、日々現実のものとなっている。震災後、二度の国政選挙で原子力回帰を謳う自民党が大勝し、新しい規制が策定され、再稼働のプロセスが進む。それに伴って、混沌の様相を強める廃炉作業はおろか、【結界】=【空白の半円】があったことすらも曖昧でぼんやりとした空気の中へと溶けてゆく。抗いがたい強力さで。
◆ 「きっと慣れてしまう」のは、「すべて忘れてしまう」のは、それを口にする誰の想像よりも、遥かに、ずっと早いのかもしれない。だとすれば、もし【Semicircle Law】が示すものがリマインダーで在り続けられないのならば、「在り続けないこと」を我々自身が欲望した結果であるということだ。
覚えていたくない、すべて忘れてしまいたい。
そう願ったことすら、忘れてしまうのだろうが。
【参照テキスト、ウェブサイト】副島隆彦(そえじまたかひこ)の学問道場(会員制)
http://www.snsi.jp/IMAI Tomoki :「note」
http://www.imaitomoki.com/?page_id=631シャーロット・コットン:「なにも変わりなく、なにもかも変わりはて」(マッチアンドカンパニー刊、今井智己『Semicircle Law』所収)
http://www.matchandcompany.com/index.php麻生弘毅:「写真集『Semicircle Law』より 記憶を留める可視装置」(山と渓谷社刊 『山と渓谷』 2013年6月号掲載)
http://www.yamakei.co.jp/products/2813900938.html)諏訪敦彦「たいして恐ろしくない」ことの悲劇
(アップリンク刊、ニコラウス・ゲイハルター監督「プリピャチ」パンフレット所収)