初めに断っておくが「2.0」に特に意味はない。今のうちに使っておかないと、そのうち使うのが恥ずかしくなりそうだから、使ってみただけだ。
(もうそろそろウザイと思われているかもしれないが)先月、単著『小林多喜二と埴谷雄高 [文庫]』をAmazonにて発売したのだが、Twitterでのつぶやきをみてみると、Amazonに対して敵愾心をもった方が案外多いようだった。ネオリベ批判、或はグローバリゼーションの名を借りたアメリカニゼーション批判の一貫なのかもしれないが、私自身はそのことに関して余り興味はない。本題はそこではない。
私は別段Amazonに拘っているわけではない。そもそもアマゾン・ユーザーとしてはほとんどビギナーに等しく、Amazonで初めて本を購入したのは今から丁度半年ほど前でしかないのだから、こだわる理由など探そうとしてもみつからない。私としては何らかの負荷と引換えに本が交換されればそれで良く、Amazon販売にしても閲覧者の限定される物理的書店よりも多くの人の目にとまるネット書店の方がコストパフォーマンスがいいだろうと考えたからだ。
そういうわけで、Amazon以外の入手手段を確保すべく、twitter上で物々交換を呼びかけてみた。直接に本と物との交換を行いませんか、というわけだ。そうして、一人のフォロアーの方が連絡をくださり、本二冊(840円×2)の代金として、上記写真の日本酒「国権」を頂戴した。この場を借りて改めて感謝申し上げる。
本書は共産党の、もっといえばプロレタリアについての本である。と、同時にプロレタリアとしての本でもある。然り。テクストのプロレタリアが存在するのだ。テクストのプロレタリアは、管理された書庫や本棚に置かれず、既存の流通網や検索システムからも除外され、適当な場所に安住することなくディアスポラ的に彷徨い漂う。マルクスがいうようにプロレタリアには「故郷」がないのだ。そして私の本は明らかにその根なし草のひとつに数えられる。
「あとがき」にも書いたことだが、私が生きている間、拙著はほとんど読まれずに捨てておかれるだろう。在野のこのような専門性の高い本を手にする読者は極めて限定されるからだ。そのことを前提にした上で、如何なるオルタナティブな流通が可能なのか、ということはずっと考えていたし、いまなお考え続けている。そんななかで上記のような交換事例は素直に喜ぶべきものだった。完全に無料の本を人は真面目に読まないというわが実感が、果たしてどこまで正しいのかは分からないが、(根本的には呪いに等しい)贈与ではなく、しかし金銭との交換でもない、様々な物との交換過程には原始的な楽しさが認められる。勿論、上記のような交換例はささやかなものかもしれない。しかし、ささやかなことから始めないのならば、一切何も始める必要はない。
そういうわけで、Amazonが嫌いだとか、金が全くないとか、そのような理由で拙著を買い渋っている方は、どうぞお気軽に私の処までご連絡下さい。Twitterアカウントは@arishima_takeo、メールはarishima0takeoに以下Gメール。
西垣勤に従えば、「ウェブ2.0」とは、メーカーやサービス事業者がそのユーザーにサービスを提供する「上からの革命」の「1.0」とは違い、ユーザー同士が集合知的にウェブをプラットフォーム化して相互的にアプリケーション・サービスを提供し合うという点に特徴がある(『ウェブ社会をどう生きるか』、岩波書店、2007・5)。書店や出版社を介さないという点で、図らずも「2.0」的な話になってしまった。面目ない。