中村さんと酒を飲むまで、あと4時間はある。この時間をいったいどうやって潰そうかと考えた。しかし、あまり良い考えは浮かばなかった。しかたなくわたしは新所沢駅前のドトールに入ることにした。ドトールに入ってアイスコーヒーのLサイズを注文し、席に着いた。喫煙席はきちんと換気されており、混み具合も適当だった。わたしはかばんから谷川俊太郎の詩集を取り出して読み始めた。しかし、彼の詩はあまり心に響いてこなかった。仕方ないので、中村さんから借りているその詩集を閉じ、マルボロアイスブラスト8mgを一本箱から引き抜いて、安っぽいライターで火を着けた。いつもと代わり映えのしないマルボロの味。最近は一日に一箱、つまり20本を吸ってしまうのが常だった。
妻との関係が些か難しくなり、わたしが狭山にある実家に居候するようになって5ヵ月目に入ろうとしていた。季節は誰の目にもあきらかに冬から春に移り変わっていった。それは無職でふところの寂しい自分も例外ではなかった。
季節の変化と共にたばこの味が変わるかどうか、わたしには確信がなかった。しかし、家の外で寒さに震えながら紫煙を吸い込まなくても良くなる季節の変化にわたしは感謝すべきではないかという気がした。ただ、わたしの両親は揃って大のたばこ嫌いと来ているので、いずれにしても両親の目の前で喫煙することは避けなければならない。これは世田谷の自宅にいる妻も同じで、とくに癌を患ってからはたばこの煙をひどく嫌がって、わたしとの間にいさかいが絶えなかった。
今頃、中村さんはどんな仕事をしているのだろう。わたしは店の壁にかかっているセイコーの壁掛け時計を眺めながら、ぼんやりと考えた。火を点けたたばこの先がだんだんと白い灰に変わり、途中から崩れた。その先を見るともなく、アイスコーヒーを啜った。中村さんはスーツを着なくてもいい仕事をしている。両親に中村さんの仕事を訊かれて、大手受験予備校K塾の事務方だと説明したが、両親への説明としてはそれでいいとしても、もう少し具体的な話に興味を示すであろう友人たちには適切な説明とは言えそうになかった。だから、すこし詳しく話そうと思う。
中村さんはK塾のCという部署で、高校を中退したり引きこもりであったりする若者たちのマネジメント兼進路指導相談員のような仕事をしている。彼もかつて日本の高校を中退して、フィンランドに留学したらしく、そこで面倒を見られる側のひとりだったようだ。彼は大学卒業後、最初大手文具メーカーで営業の仕事をしていたが、半年くらいでそれを止して、いまの仕事に変わったようだ。細かく言えば、彼は営業を辞めてからレコード店にアルバイトで勤めていたり、奥さんは文具メーカー時代の同僚だったりといろいろあるのだが。
彼は、基本的に、自分より年若い男女-男が圧倒的に多そうだ-を相手にして仕事をしている。その様子を想像するのは決してつまらないことはなかった。もちろん講師などは彼より年嵩の人が多いだろうから、決して若者ばかりが相手ではなかったが、彼がいちばん気を遣うのは実は生徒の親を相手にするときだったりするのだ。自分の親よりすこし若いくらいの生徒の親と彼らの学業や進路について面談するときが、中村さんがいちばん他者を意識する時間だった。ふしぎと彼らは、何らかの社会的挫折を体験している生徒たちと違い、特に問題なく社会でやって来れた場合が多く、自分の子供に対する理解も決して深く的確であるとは言い難いのだった。
仕事を終えてやってくる中村さんと、どんな話をしたら楽しいだろうかとわたしは考えた。やはり、ジャズだとか音楽関係の話になるだろうと思った。中村さんは非常に映画にくわしいが、わたしはそうでもなかったし、音楽を分け隔てなく聴く傾向を有するという点で、わたしと彼は一致していたので、会うとたいてい音楽の話になるのだった。ちょっと居酒屋で飲んでから、ジャズバーに繰り出すのも悪くなかった。そういった楽しい時間を共有できることを考えると、わたしの常日頃鬱々とした心にも一条の光が差し込み、やや明るくなるのだった。こういう風に心を三次元的な空間表象として捉えるのは、当たり前のようだが、じつは不思議な慣習だとわたしは思った。
隣に強い香水をつけた中年婦人が座って、わたしはその鼻を突く下品な甘い臭いに気分が悪くなったが、それを我慢した。香水婦人はホットコーヒーを飲んでからラークを一本吸って足早に席をあとにした。たぶん駅前の西友に寄って買い物をして、夕食におでんでも作って退職間際の夫と食べるのだろう。わたしは暇にまかせてその中年婦人と頭の禿げ上がった夫の事務的なセックスまで仔細に思い浮かべようとしたが、いくら暇を玩んでいるとはいえ、そこまで下卑た想像するのはご法度だと思わずにはいられなかった。
そこで、もう一度谷川俊太郎の詩集のページを開いて、一度読んだことのある戯曲をぼんやりと読み直した。昭和30年代らしい、前衛的な芝居だった。いま演じられても決して古くさく感じられそうにない洗練された台詞回しにわたしは感心を覚えた。
(つづく)
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中村さんを待ちながら (前篇)
- 2013年03月13日 17:23
- 小説