証言 班目春樹 原子力安全委員会は何を間違えたのか?
 【 国会事故調 2012年2月15日 班目春樹 】                   新潮社刊 「証言 班目春樹」


「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまう」

◆ 事故から二回目の3月11日を迎えたと思ったら、あっというまに10日以上が経った。昨年の3月11日に、「ちょうど一年になる」とかなんとかFacebookやTwitterで呟いていたときから、本当にあっと言うまに、さらなる一年が過ぎたのだ。

◆ 二年が経つあいだ、「世界」では、津波とも地震とも原発事故ともまるで無関係の膨大な悲喜劇が、毎秒、毎分、毎時間、毎日、起きて/起き続けていて、あの強烈なカタストロフィでさえ、単なる歴史的惨事というトピックへと追いやられてしまい、日々、特権性は希釈され続けている。大半の日本人…85パーセントくらいの人々にとっては、もはや津波も地震も原発事故も、「あったねえ、なんか、そういうことも」などという風に記憶の彼方遥か過去、といった案配になっている…ような気が、ぼくには、している。

◆ 昨年六月、国会事故調の参考人質疑がすべて終わったあと、終わらなかった世界というエントリを書いた。そのときには、もう、「忘却」への欲望は怒涛の勢いで社会を覆い尽くしつつあり、津波や地震の被害と共に、福島での事故によってあり得たかもしれない「非在」「存在」にすら想像力が及ばなくなっている状況が顕在化していた。

◆ これからも、「忘却」は進み続け、除染も、廃炉も、再稼働も、特権性を失った日々のニュースとして報道されるだけになるだろう。岡崎京子は高度消費、情報化社会がもたらす生きるリアリティの希薄と倦怠をぼくたちは何だかすべて忘れてしまうねと表現したが、そうでなくとも「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまう」のだ、もともと、覚えてなどいられない。


「復習」…「世界」が終わらなかった理由の答え合わせ


◆ けれども、上記のエントリでも書いたように、ぼく個人は可能な限りそうした現象に抗っていきたいと思っているから、この3月を迎えるにあたって少しずつ当時のニュース記事や各種の事故報告書、手元にある関連書籍を部分的に読みなおすなどして、「復習」に努めていた(つまり、復習しなくては思い出せないということだ)。

◆ 地震発生から津波の襲来を経て、冷却機能を失った複数の原子炉がメルトダウンするまでの物理的な推移やメカニズムには未だ不明な点も多いが、「安全」だったはずの原発がなぜあのような事態に陥ったかという、事故をめぐる社会的・組織論的な背景に関しては、既に大まかな「答え」が明らかになっている。政府と国会の事故調報告として提出、公開されたテキストにも、「答え」は載っている。

◆ 前者は長大かつ難渋で、素人の手にあまるが、後者は報告書ダイジェスト版結論の要旨を読むだけで、「答え」の概要を知ることができる。具体的に抜き出せば、下記部分だ(強調部は東間。以下すべて引用文で同じ)。



…今回の事故は、これまで何回も対策を打つ機会があったにもかかわらず、歴代の規制当局及び東電経営陣が、それぞれ意図的な先送り、不作為、あるいは自己の組織に都合の良い判断を行うことによって、安全対策が取られないまま3.11を迎えたことで発生したものであった。

当委員会の調査によれば、東電は、新たな知見に基づく規制が導入されると、既設炉の稼働率に深刻な影響が生ずるほか、安全性に関する過去の主張を維持できず、訴訟などで不利になるといった恐れを抱いており、それを回避したいという動機から、安全対策の規制化に強く反対し、電気事業連合会(以下「電事連」という)を介して規制当局に働きかけていた。
 
このような事業者側の姿勢に対し、本来国民の安全を守る立場から毅然とした対応をすべき規制当局も、専門性において事業者に劣後していたこと、過去に自ら安全と認めた原子力発電所に対する訴訟リスクを回避することを重視したこと、また、保安院が原子力推進官庁である経産省の組織の一部であったこと等から、安全について積極的に制度化していくことに否定的であった。
 
事業者が、規制当局を骨抜きにすることに成功する中で、「原発はもともと安全が確保されている」という大前提が共有され、既設炉の安全性、過去の規制の正当性を否定するような意見や知見、それを反映した規制、指針の施行が回避、緩和、先送りされるように落としどころを探り合っていた。
 
 


◆ 終わらなかった世界では国会事故調の参考人質疑対してずいぶん揶揄的なことを書いているが、議事録によって質疑を「読みなおして」みると、少し思い改めるところがあった。不備もあるにせよ、政府事故調にはない強制権限を使って集めた内部資料を武器にした公開質疑で、安全委や保安院、東電幹部たちが上記の不作為(=事故の「答え」)を認めている、あるいは認めたも同然の答弁を引き出したのは大きな成果と言える。

◆ これまでも各種報道やネットの未確認情報レベルではさんざん指摘されてきたこととはいえ、当事者たちの言葉は重い(政治家たちの言葉だけみれば、やはり「意義な聴取になっているとは言い難かった」し、「かれらに与えられた、申し開きのパフォーマンスでしかなかった」という感想は変わらないのだけれど)。


デタラ目…ではないイインチョウの反省文。「証言 班目春樹」


◆ その中でもっとも興味深かったのが、最後の原子力安全委員会委員長となった班目春樹の質疑だ。彼のことは、発災直後に起きた原子炉への海水注入の中断騒ぎで何やらワーワー言っていた早口のおじさんとしてしか記憶していない人が殆どだろう、というか、それすら怪しい人はもっと多いだろう。

◆ けれども、元委員長の事故調質疑における物言いは、「言質をとられない」ことだけを露骨に意識した不誠実な官僚的申開きに終始する他の東電、保安院幹部とは明らかに一線を画していた。質疑後の昨秋に出版された「証言 班目春樹 原子力安全委員会は何を間違えたのか?」」(冒頭リンク参照、以下「証言」)でも、長年に渡って原子力業界のインサイダーとして生きてきた(そして今後も生きていく)人間とは思えない、まるで他人ごとのような率直さ、葛藤を感じさせない「あやまち」への饒舌さは際立っていた。



原子力安全委委員会というところは、原子力安全の確保に関する基本的な考え方を示すということが最大の任務となっております。したがいまして、そういうものを安全審査指針類としてこれまで発行してきたわけでございますが、今まで発行してきた安全審査指針類にいろいろな意味で瑕疵があったということは、もうこれははっきりと認めざるを得ないところでございます。
例えば、津波に対して十分な記載がなかったとか、あるいは全交流電源喪失ということについては、解説の中に、長時間のそういうものは考えなくてもいいとまで書くなど、明らかな誤りがあったことは認めざるを得ないところで、大変、原子力安全委員会を代表しておわび申し上げたいと思っております。

 


◆ 対象不明瞭の「おわび」からはじまる班目元委員長の答弁と「証言」は、全面的にこれまでの原子力安全規制と規制の根拠となった安全思想の欠陥を認め、そして事業者と官庁の関係性について批判するものだ。両者を軸に他の参考人たちの「不明瞭な」発言を照らし合わせると、日本の原子力行政や事業者が抱えてきた独特のガバナンスの歪みや信じがたい朴訥さが、いかに今回の事故へ甚大な影響したかがよく分かる。

◆ 「今さら何言ってんだ!」「ただの責任転嫁だろ!」「お前も共犯の一人だろうが」という反原発論者による糾弾の絶叫がYutubeには多数投稿されているが、班目の指摘自体「だけ」みれば、どれも極めて妥当なものだと思える。聞き手である東大大学院教授の岡本孝司(かれも以前は原子力安全委員会に属しており、さらに班目が東大で原子力工学の教鞭を執っていた時期の学生でもあった)のまとめを引くと、4章構成の「証言」は以下のように整理できる(P216)。



  1. 福島第一原子力発電所事故時の初動対応のまずさ。
  2. 二十年遅れている日本の原子力安全管理。
  3. 事業者の思い込みや見込みの甘さ。
  4. 責任を取らない事が重要な政府のしくみ。
  5. 規制が事業者や規制自体の改善を妨げる方向に促す仕組みとなっていた。
  6. 先送りをする事が美徳の仕組み。



◆ 1~6の中には、上で引用した国会事故調による報告書ダイジェスト版「結論の要旨」と同内容の部分がいくつもある(報告書は班目の聴取を元にした部分もあるので当然なのだが)。ただ、班目は東電のロビイングや規制行政への介入には殆ど触れていない。事故対応の回想でも、官邸の混乱ぶりを嘆いたり(というよりはキレまくる菅直人への恨み節なのだが)、保安院、文科省の無能と責任転嫁を非難することで自己弁護を試みる記述が大半だ(※1)。


「起こらないことになっている」から、事故は「起こらない」


◆ 班目が「証言」する、「事故を招いた要因」と、「二十年遅れている日本の原子力安全管理」が示すものを端的に表せば、安全への「割り切り方」(※2)を検討、更新せず先送りし続けた結果、原発はもともと安全が確保されているという大前提がドグマ化してしまい、「事業者と規制機関の両者とも、シビアアクシデント(過酷事故)への想像力が致命的に欠如する思考停止事態に陥っていた」ということだ。

◆ 班目は、それこそが日本の原子力産業と行政を強く支配していた「安全神話」の実態だと述べている。

◆ 結果として、IAEA(国際原子力機関)が基本的な安全対策として提唱している深層防護(Defence in Depth)は三層までの規制に留まり続け、四層以降が対象とする過酷事故対策は事業者任せで放置されていた。(参照:毎日新聞「原発【5重の壁】のワナ

◆ さらに、上記の事故調質疑で班目自身が「明らかな誤り」と断定したSBO(全交流電源喪失)対策の不備、津波想定の過剰軽視、米国が9.11後に導入したテロ対策「B.5.b」への鈍い反応など、すべては過酷事故への「安全神話」に起因している。(参照:法と経済のジャーナル「米国の原発 全電源喪失対策 保安院、日本に生かさず持ち腐れ

3-11-630x436
                                                                              国会事故調査報告書 図 1.3.3-1


◆ なぜ「神話」が形成されるに至ったかを本格的に検証する為には、おそらく日本へ原子力発電が導入された経緯から論をはじめなければならないが、安全委員会が評価指針としてシビアアクシデント対策を定められなかった理由については、以下のような事情があった。



「…原子炉を新設するときの評価指針では、シビアアクシデントは起きないことになっていたからです。起こらないことを保安院と原安委が原子炉の設置前に「確認」しているのに、その起こらないことが起きた時の対策を指針として定めているのはおかしい、というわけです。」(「証言」P188)
 
「…電力会社は、原発新設の前に設置許可申請書を提出しますが、その中に、「立地審査指針が満たされている」と必ず記されている。(中略)これはつまり、「どんな事故があっても、影響は敷地外に及ばない」という申請書なのです。どうして最悪の重大事故でも影響は施設内にとどまるのかというと、影響が敷地内にとどまるよう逆に考え事故を設定しているからです。要は「本末転倒」ということです。」(「証言」P144)
 


◆ 「過酷事故は起こらないことになっている」という指針の歪みは3.11以前から度々指摘されてきたことではあるのだが、改めて「理由」を解説されると、黎明期の原発建設がいかに国策上重要なものだったかを痛感させられる。交付金の提示でも納得しない周辺住民を説得する為に、「どんな事態であれ、影響は敷地外に及ばない」という「虚構」を大前提として確約してまで、それは押し進められる必要があった。


「慣性力」と、絶対に間違いを認められない囚人のジレンマ


◆ 年月が経過するあいだに、「虚構」の維持は、事業者、規制官庁とも「過去に自ら安全と認めた原子力発電所に対する訴訟リスクを回避すること(上掲、国会事故調報告)」へと微妙に姿を変えてゆく。構成員の誰かしらが「これはおかしい」と気付いていても、【「スイシン派」「ハンタイ派」「互いを不信の目で見て、共倒れして行く「囚人のジレンマ」に等しい矛盾」】(武田徹核論P261)を孕む対立を続けるなかで、組織全体として瑕疵を修正できない構造に陥っていた。



「過ちて改むるに憚ることなかれ」という諺があります。間違いを犯したら、それを改めることに躊躇するなという意味ですが、原子力の場合は間違いがなくても改めていかなければなりません。(中略)原子力の関係者全員に共通するのは、指針を改訂する事によって、過去の指針が間違っていたと思われたくないという慣性力です。メディアも、改めたということより、それまでのものが間違っていたのではないかという視点で取り上げる。そのため、間違っていたと思われるのがイヤで、改めることに極めて消極的になってしまいました。(「証言」P199

「…びっくりしたのは、事務局の考え方です。役所なので仕方がないのかもしれませんが、何事も全て前例の踏襲と、何もない事がいいことという文化がすっかり染みついていたのです。やり方を変えると、過去のやり方が間違っていたことになるので、おかしいと感じても今までのやり方は絶対に変えたくないという、非常に強い慣性力がありました。」(「証言」P177
 


◆ 班目は、「虚構」が維持されることのみに力が費やされる状態を、「慣性力」という言葉で強調している。「~力」とは言うものの、ポジティブな意味合いはまるで無く、悪名高い日本式「前例踏襲主義」そのものだ。かれは国会事故調の質疑で、規制組織内における「慣性力」が非常に強い理由として、「加点方式ではなく減点方式を基本とする日本の公務員制度」を挙げているが、この部分には、上記「核論」で武田が定義するところの「原子力をめぐる囚人のジレンマ」も大きく影響していただろう。

◆ 核エネルギー廃絶をドグマとする「ハンタイ派」は頻繁に運転差し止め等の起訴を起こすうえ、立地県、自治体からも、「絶対安全」の確約を少しでも揺るがすようなトラブルが発覚すれば、増炉、プルサーマルなどセンシティブな計画への同意を取り付けられなくなる…。

◆ そんな状況で、「減点」を何よりも恐れる官僚に「過ちて改むるに憚ることなかれ」などという姿勢を期待できるはずがない。保安院の審議官でさえ、いっときの通過点としてそこに在籍しているに過ぎず、となれば自分が責任を取らされる可能性のある決定に関わりあうなど絶対にイヤだ、と考えるのは自然だろう。かれらにとって、原子力はあまりにも「厄介」すぎるシロモノなのだ。


イインチョウの心配…「いろんな人に怒られる」


◆ 震災直後、官邸に呼び出された保安院の職員たちは、官邸に詰めた政府関係者ら複数に、事故対応の姿勢を強く批判されているが、国会事故調の報告書に記された彼らの挙動からは、「絶対に責任を取りたくない/取らされたくない」と考えていたことだけはよく伝わる。



【…関係者の目には、「一生懸命答えてはいた」と映った班目委員長はともかく、特に保安院関係者を中心とした原子力の専門家たちは、何を聞かれても「ふにゃふにゃとしか答えないという状態」で、「次に何をすべきか」というような提案は一切なく、「まるで宿題をやってこない生徒のように総理らと目を合わせないようにしていた」

 
【…確かに、政治家に問われても誰も口を開かない。それで、私が答えるしかなかった。「余計なことを言うと、損をしますよ」そう助言してくれる人もいましたが、私としては責任を放棄する気は全くありませんでした】

 (「証言」P60)
 


◆ 「総理と目を合わせない」のも、「次に何をすべきか、一切提案しない」のも、あまりに想定外の展開に対して、自己防衛本能で思考の回路が飛んでいたのかもしれないが、しかし、助言をする班目に向かって発された、「余計なことを言うと、損をしますよ」という衝撃的な言葉からは、意図的なサボタージュも疑わせる。

◆ 何れにしても、あの緊急事態で保安院と文科省の官僚たちがとってしまった行動について、ぼくらは絶対に忘れるべきではないだろう。全部が、ではないとはいえ、大規模な原子力災害がまさに発生しているまっただ中で、政府機能の実務を行う階層の人々が口にした本音は、「余計なことを言うと、損をする」という、トホホを通り越したものなのだから。

◆ 方や、班目は「責任を放棄する気は全くありませんでした」と胸を張っているが、この妙に正直な学者先生が官邸の信頼を失う切っ掛けとなった1号機の水素爆発を振り返っての述懐は下記のような、信じがたいものだ。



政治家を含めて、いろんな人に怒られるだろうな、世間からも相当バッシングを浴びるかもしれないー。そんな思いがグルグルと頭の中を巡っていました。
「証言」P77
 


◆ これはこれで、脱力するしかない、モノ凄い告白である。自身の学者人生で主張してきたことが正面から問われる、しかも国家の緊急事態でもある光景を眼前にして、総理の助言役たるべき老人の頭を占めていたのは、混じりけない自己保身なのだ。「いろんな人に怒られる」ことが、まず心配だったのだ。そんな班目の姿を、官邸の人間は唖然として眺めていた。


…そのとき班目は、福山の記憶によれば、(その後頻繁に見せることになるのだが)「アチャー」という顔をした。両手で頭を覆って、「うわーっ」とうめいた。頭を抱えたまま、そのままの姿勢でしばらく動かない。福山が「これはチェルノブイリ並みの事故ですか」と聞いても返事がない。一部始終を目撃した下村にとって、生涯忘れることのできないような衝撃的なシーンだった。これが日本の原子力の最高の専門家の姿なのか──そう彼は思った。首相のアドバイザー役である原子力安全委員会の委員長は、日本の原子力界最高の実務者であり、知性であるはずだった。


 


そしてイインチョウの結論…「班目春樹は何を間違えたのか?」


◆ 長くなってきたので、そろそろデタラ目ならぬ班目元委員長(もうイインチョウと書いた方がいいか?)の告白についてアレコレ書いてきたこのテキストを終わろうかと思うのだが、「証言」や事故調質疑からつくづく感じることは、先にも書いた「他人事」のような調子の、まったく「葛藤」が伺えない奇妙さだ。

◆ 質疑に呼び出された勝俣前会長はじめとする東電幹部、広瀬、寺坂、松永ら元保安院長、経産官僚の答弁は「言質を取られない」ことを意識していると同時に、自分たちの不作為に対する自責の念であるとか、羞恥であるとか、あるいは委員の難詰への苛立ちであるとか、いずれにせよ当事者的な懊悩をにじませるものだったが、班目の言葉はそうしたものとは無縁で、糾弾と自己批判の弁はじつに滑らかだ。



…大震災・津波が起こり、福島第一原発に全電源喪失という国家的な危機ともいうべき大変な事態が生じたにもかかわらず、証言にはその解決のためになんとか自分の死力を振り絞ろうしたという強い気持ちは全く感じられない。…危機においては、まさに、その人間としての格・人生そのものが問われるということだろう。一介のサラリーマンが残業で大変だったとのぐちをいっているような証言録ではある。そのような人物しか得られなかった日本の不幸をかみしめざるを得ない。
 
 

◆ 上の引用は「証言」に寄せられたAmazonレビューだが、「サラリーマンが残業で大変だったとのぐちをいっているような証言録」とはまさに言い得て妙だと思う。

◆ 本の最終章、「所感ー原子力安全確保のために」で、斑目は「原子力安全を確保できるかどうかは、結局のところ人だということを痛感しております(P211)」と述べ、事故調質疑で新しい規制組織への助言を尋ねられると、「この問題というのは最後は人だなということをつくづくと思い知らされたということです…組織の形態がどうあるかというよりは、そこを引っ張る人の意欲と知識で決まるのではないか」と答えているが、聞いた誰もが、「ところでイインチョウ、御自身は?」と突っ込みたくなるだろう。(※3)

◆ このテキストを班目元委員長が読むことは99.9パーセントないと思うが、それでも、繰り返してみたい。

イインチョウ、御自身に関しては、どう思われるんですか?

(了)



※1 ただし班目は、門田隆将が主に発電所側の事故対応へフォーカスして著したドキュメント死の淵を観た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日において、以下のように答えている。

「私、言っておきますけど、政治家には多分に同情的なんです。だって、専門的なことは政治家にはわからないんですからね。私は官邸にずっと閉じ込められていますから、官邸側と同じような心理状態なんです。それに対して、東電や保安院なんかについては、ものすごい不信感を持ってます。当時、官邸は東京電力をまったく信用していない。なに言ってるんだ、東京電力は、という思いになっていたのは、よくわかりますよ」と答えている(同書p261))。
 


※2 班目は安全基準をどこで定めるかの想定をこの言葉で表しており、福島原発事故は、「その割り切り方を間違ってしまった、それが今回の失敗の本質ではないでしょうか」として、「最悪の経験から得られた教訓を今後の正しい割り切り方に生かさなくてはならない」などと発言している(「証言」P101)。
事故以前では、ウィキペデア「浜岡原発訴訟」の記述から、以下のような使用が確認できる(強調部は東間)。

「2011年3月11日に起きた東日本大震災の津波被害に伴う福島第一原子力発電所事故後の22日の参院予算委員会で、内閣府原子力安全委員会委員長の班目春樹は、2007年2月の浜岡原発運転差し止め訴訟の静岡地裁での証人尋問で、非常用発電機や制御棒など重要機器が複数同時に機能喪失することまで想定していない理由を社民党の福島瑞穂に問われ、「割り切った考え。すべてを考慮すると設計ができなくなる」と述べていた。」



※3 実際、委員の一人である野村修也は、「今までその組織を引っ張ってこられたのは委員長ご自身なわけですよね(中略)ということは、何か先ほどから官僚の動き方が悪いとか事業者が悪いとかおっしゃっておられるんですけれども、人として最もおかしい動き方をされていたのは委員長御自身なんじゃないですか」と嫌味を言っている。