中村さん、ぼく、新しい物語を書こうと思うんですよ。今までにないものを、今までにない文体でね、書こうと思うんですよ。でも今までにないものってどんなものだろうって思うんですよね。今までにないんだから、どんなものかって分からないじゃない?そこから始まるんですよ、すべてがね。うんざりする?そうかもしれませんね。
新しい新しいと連呼されても、それが過去にある作品の焼き直し、語り直しって場合が多いじゃないですか?えっ、知らない?知らないと言われると困っちゃうなぁ、ぼく困っちゃいますよ。とても、とても困っちゃうんですけど、え、困ってれば良いんじゃないかって?まぁ、ずいぶん残酷なことを言うんですね。それが作家たるものの務めですって?なるほど。一理ありますね。確かにね。新しいものを作り出そうとして悩み苦しむのが真のクリエイターだというね。
ところで中村さん、中村さんはデイブについてどう思います?デイブですよデイブ。デイブっていったらブルーベックですよ。決まってるじゃないですか。なに、ポールのサックスが良いって?あぁ、ポール・デスモンドですね。まぁ、確かにね、ブロウしないサックスをわたしはポール・デスモンドで初めて知りましたからね。えっ、何?何?他に好きなサックスプレイヤーは誰だって。あぁ、スタン・ゲッツなんて最高じゃないですか。そうそう、『ゲッツ/ジルベルト』なんて素晴らしいですよね。あまりにも有名すぎて聴き直す機会もないですけどね。えっ、ジョアンについてどう思うかって。いや、素晴らしいですよ。はい、素晴らしいと思いますよ。ジョアンのギター奏法の特性について論じあおうって、ぼくそこまでジョアンに詳しくもないですし、ギターについても詳しくないですよ。じゃあ、ぼくが語ろうって、えっ、ぼくって誰ですか?あ、あぁ、中村さんのことね。ぼくが語ろうって言われてちょっとびっくりしちゃっただけですよ。うん、
まぁ、良いですけど、ジョアンについて語りたいと。気持ち分かりますよ。気持ち分かるけど、それはブラジル音楽に詳しい人と、うん、そう、ボサノバやMPBに詳しい人とね、話をされたほうが良いんじゃないかと思いますよ。うん、中村さんはむかしジャズギターやってらしたんですよね?最近は全然ギターに触れていない?あぁ、そうですか。たまには触ってみたら良いんじゃないですか…?実はバンドやりたいとかないんですか?あぁ、ないんですか?えっ、仕事が忙しすぎるって?うーん、そりゃ大変そうですね。大変そうだけど、仕事がないよりはマシじゃないですか?えっ、何もかも放り出して北の方へ逃げたいって、北の方ってどこですか?群馬や茨城じゃない、もっと北の方?あぁ、岩手とか青森、でもなくて、えっ、アラスカ?アラスカですか?アラスカに逃げたいんですか?でもほらアラスカってアメリカですよ。パスポートが要るじゃないですか、そう、パスポート。パスポートなんか無くても行ける?いや、それはないと思いますよ。えっ、気合いで行ってやる?いや、止めてくださいよ、気合いで入国って言ったって、それ不法入国でしょ?いや、やっぱルール守らないといけないと思いますよ。最低限のルール、何にでもあるでしょう?えっ、ルールなんてくそ食らえ、キープォンロックンロール?中村さんってロックンローラーだったんですか?えっ、ロックンローラーだろうとそうでなかろうとどっちだって良いだろうって?あぁ、どうしてそんなめちゃくちゃなことを言い出すんですか、中村さん。中村さんってもっと人間ができてると思ったがなあ。人間ができてるじゃ分からない?じゃあ、なんていいますかね、人間ができているというんじゃなかったら、あああ、なんて言うかな、大人、そう、大人なはずですよ、中村さんは。えっ、実際のぼくは違うんだ、そういうんじゃないんだって?そんなこと言われてもこちらとしては困っちゃうんですけどね。えっ、ロックンローラーに免じて許してほしいって?いや、なにそれ、中村さん、さっきはロックンローラーじゃないって仰ってたじゃないですか、それをこうぱっと、えっ、やっぱりぼくはロックンローラーなんだって、そうですか。そうですか。
なんと言えば良いのかな、わたしは今のいままでちゃんときちんと自分が生きてきたっていう感じがないんですよ、いやそうです、おっしゃる通りでね、このぼく、さえきという人間そのものは確かにこの世に生まれて三十余年存在し続けていますがね、二年くらい前から自分が存在しているのか、はたまた自分が存在させられていて、もともとは存在しないものなんじゃないか、とかね、そう思わざるを得ない日々だったわけですよ。モテるとかモテないとか、そんなことはどうでも良いじゃないですか、いま話しているのはそんなことじゃないでしょ?中村さん、中村さん、中村さん?あぁ、こりゃいけない、ねえちょっと、あれっ、ねえ、中村さん?ちょ、ちょっとそこのお姉さん、来てもらえる?ほら、ちょっとそこに座っている男性、中村さんっていうんだけど、ちょっとさあ、あの~息をしていないみたいなんだよね、AEDってこの店にも置いてあるの?いや、分からないじゃなくて、あぁ、店長に訊いてみてもらえるかな?うん、そう、なんてったって、こっちは息をしてないんですよ。うん、至急頼むよ。
あぁ、あなたが店長さん、いや副店長さん?いやどっちでも良いんだけど、あなたがこの店の責任者?うん、じゃあAEDどこにあるか分かる?えっ、駅にはあるんじゃないかって?うん、じゃあ悪いけどちょっとひとっ走り行ってきてもらえないかな?うん、わたしはちょっといまから救急車お願いするから―あー、もしもし、こちら救急車を一台お願いしたいんですけど、はい、名前はさえきです。さとうのさに、にんべんに黒白の白って書いて、はい番号はそちらに表示されている番号、分かります?ああ、はい、男性がひとり倒れてるんです、こちらはミドリ町の、ここは何丁目だったかな、あ、えーとミドリ町の4丁目です、あのTSUTAYAとロッテリアに挟まれた、え、番地ですか、いやまぁ駅前ですよ、駅前ですから、はい、何分ぐらいかかりますか、8分くらい?あぁ、8分くらいかかるんですね、分かりました、ありがとう。それじゃよろしくお願いします。
あ、えーと、あっ、中村さん、中村さんが目をあけた、大丈夫ですか、さっき気を失ったっていうか呼吸がなかったんですよ。え、全然覚えてないって、参ったな、全然覚えてないんですか。店長さんはAEDさがしに駅まで行っちゃったし、ぼくは救急車呼んじゃいましたよ、え、もう大丈夫そう?そんなことないですよ、まだ顔が真っ白ですよ。凄く白くて、具合が悪そうな顔をしてますよ。え、あぁ、じゃあ第一ボタン外しましょう。わっ、凄い汗。首回り大丈夫ですか?凄い汗ですよ、これ、凄いって…。うわぁ、びしょびしょですよ、ちょっとこれ!やっぱり、ねえ、中村さん、やっぱりこの汗、ただ事じゃないと思いますよ、わたし、さっき電話で救急車呼びましたから、それが来たら、病院に行って一度診てもらったほうがいいですね。あっ、ああ、店長さんだ、店長さんが戻ってきましたね、えっ、AED、これもういらなくなっちゃいました、わざわざ取りに行ってもらったのにすみませんね、いやさっき息してなかったよね?だけど、息吹き返したんだよね、うん、だから一応病院できちんと診てもらわないと…!あー、あぁ、救急車来たみたいね。中村さん、ねえ、中村さん、立てる?あ、あぁ、大丈夫そうだね、杖要りますか?要らない?じゃあ、ぼくが持って出ますよ、あ、すみません、救急隊の方、うん、担架要らない、ふつうに救急車に乗れるみたいですよ、はい、あぁ、わたしも付いていったほうが良いですよね。はい、はい、じゃあそうします。中村さん、ねえ、大丈夫ですか?ねえ、大丈夫ですか?あ、あぁ、大丈夫そうですね。
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