人と別れるとき、「またお会いしましょう」といって連絡先を聞くのは、ただの社交辞令かもしれない。



でも、その瞬間は、また会えたらいいなと多少なりとも感じているものだ。
人の心は、人の心を求める。人間はそうやって結びついて世の中を作っている。

瞑想コース期間中はいっさいの会話が禁止されているから、他の参加者の名前も素性もわからない。でも、10日目に会話が解禁になり、お互い自己紹介すると、魅力的でユニークなバックグラウンドを持った人が実に多くて驚く。

最終日は早朝に瞑想ホールで講話を聞いたあと、センター内の掃除をして解散だ。
家路につく前、ダイニングホールで参加者同士が連絡先を交換するのをよく見かける。
連絡を取り合おう、今度どこかで会おうと、電話番号やメールアドレスを交換する。


連絡先を交換するのは、瞑想の経験が浅い人のほうが多いような気がする。


ときおり、コース参加ではなく、コースを手伝うために瞑想センターへ行くこともある。
私の家から車で3時間ほど東に行くと、砂漠の中にセンターがあって、コース参加していた山の中のほど遠くないので、ここへはよく手伝いに行く。ここでもやはり、ユニークな経歴の人が多い。

手伝いでセンターに滞在するときは、他の手伝いの人と話してもOKだ。けれど、センターでは、滞在者同士の交歓はあまり奨励されない。祝日も、誕生日も祝わない。
Noble Speechという規則があり、うわさ話をしたり、他人を批判したりするのは禁止されている。身体の接触も禁止で、ハグも握手もしない。

それでも、キッチンで一緒に作業をしながら、あるいは食事時におしゃべりしながら、それぞれがどんな人物なのか少しずつわかってくる。

5日も一緒に過ごせば、すっかり仲良しだ。

手伝いの期間が過ぎてセンターを去る時、一緒に作業した仲間とは別れがたい。
普通の状況なら"Keep in touch"とかなんとか言って、メールアドレスや電話番号を教えあうのだろう。実際、そうすることもある。


でも、連絡先を聞かず、そのまま別れることのほうが多い。


手伝いでセンターに行き始めたころは、これが凄くもったいないことのように思えた。
たとえばセンターをネットワーキングの場として活用したら、とても有意義な人脈ができるだろう。

でも、センターに手伝いに来る人たちは、人脈作りにはあまり関心がないようだ。

たくさんの人と知り合うので、いちいち連絡先を聞いてもあとで実際に連絡するのは面倒だ、というのも理由かもしれない。手伝いに来るのは瞑想コースに参加経験のある人だけだが、すべての物事は変化するのだから、知り合った人の連絡先を聞いてもあまり意味がないと感じるのかもしれない。


たくさんの人と出会って別れたけれど、縁があればまた会う機会があるはずだと信じるようになってきた。


今年、瞑想コースに参加して、最終日に3人の参加者から尋ねられた。

「どこかで、会ったこと、ありませんか?」

3人とも初対面で、私が行ったことのない場所で会ったというから、人違いだろう。
私とそっくりな誰かがいるのだろうか?

彼女たちには、「それって、前世で会ったんじゃない?」と言っておいた。
そういうことだって、あるかもしれない。