さて、人類が滅亡したわけですが。
みなさまいかがお過ごしでしょうか。
どうでしょう。
地割れでも起きていますでしょうか。
火山でも噴火しましたでしょうか。
津波でもありましたでしょうか。
はたまた隕石でも降ってきましたでしょうか。
人類は滅亡が大好きである。
筆頭は1999年のノストラダムスの予言であるが、しかし、あれ以上の恐怖感は後にも先にももう無いだろう。1999年の数年前にノストラダムスの予言を知った。その頃、ぼくは十分にお子様であったが、確かに恐怖感があった。隕石だか悪の大王云々ではなく、1999という数字そのものにただならぬ雰囲気があったのだ。
1999と2012をくらべてみてほしい。
歴史としての事実は置いておいて、心静かに眺めてみてほしい。
どちらの年に大事件があったでしょうか?
あるような気がするでしょうか?
1999年である。
すでに過ぎ去ってしまったし、何があったかの歴史的事実も知らないが、いま考えてみても何かが起こりそうである。その何かがいったいなんなのかはわからないが、とにかくは「何か大変なこと」が起こりそうである。
それはさておき、あと10日ばかりで2012年が終わるわけだが、2012とはいかにも平凡な数字である。そして数字の印象そのままに、どうでもいい年であった(ぼくにとって)。だって、どうひいき目に見てもたいした数字ではない。2013年も同様である。いかにも甘ったるい、だれた感じがする。2014年、2015年と続くわけだが、こんな平凡な数字では「何か大変なこと」が起こるような気がちっともしない。
2016、2017、2018、2019、2020、2021、2022、2023、2024、2025、2026、2027、2028、2029、2030…と月日は流れていくわけだが、しかし、やはり危機感のある見栄えのする数字はちっとも出てこない。
2031、2032、2033、2034、2035、2036、2037、2038、2039、2040…
…全然だめである。
このあたりで親が死ぬというイベントはあるだろうけれども。
2041、2042、2043、2044、2045、2046、2047、2048、2049、2050…
だめだだめだ、こんなんじゃだめだ。
2051、2052、2053、2054、2055、2056、2057、2058、2059、2060、2061、2062、2063、2064、2065、2066、2067、2068、2069、2070…
がっかりである。
ここらでわたしが死ぬという空前絶後の史上最大のイベントが発生するわけだが、つまりわたしの人生においては、いっこうにたいした数字の年は訪れないのである。
なんといっても100の位がずっとゼロなのである。これはいかにもさびしく、わびしい。情けない。締まりがない。威厳もなにもあったものではない。
2999や、3999、4999といった年を越えていく人たちがうらやましい。
いや、ぼくだって1999という年を越えはした。
が、それは右も左もわからない子供の時である。
少なくとも「今年は1999だからなッ!」というような気持ちではなかった。
残念である。
しかし、こんな話でここまで引っ張ってブログを書き上げるぼくは立派である。
平凡な2012年のさなかにこの文才。ああ、非凡である。
参照:産経新聞「人類滅亡の日? マヤ暦「新たな時代」に NASAに問い合わせ殺到、休校の学校も」かつて中米に栄えたマヤ文明の暦が21日、「新たな時代」に切り替わる節目に差しかかった。世界各地で地球規模の大災害や人類滅亡などのうわさから動揺が広がった。米メディアによると、米航空宇宙局(NASA)には電話や電子メールで「本当に何か危険があるのか」などの問い合わせが殺到。ミシガン州では、コネティカット州の小学校での乱射事件と終末論のうわさで平静が保てないとして、クリスマス休暇を前倒しして20~21日を休校とする学校も。
中国紙、新京報は、政府が「邪教」と認定するキリスト教系の宗教組織「全能神」のメンバーら千人近くが拘束などの処分を受けたと報じた。全能神は古代マヤ文明の暦に基づく終末論を背景に信者を増やしているとされている。マヤ考古学の専門家によると、この暦では現在の世界は紀元前3114年に始まり、今年12月21~23日ごろ次の時代に切り替わる。(共同)