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市井の人が埋もれない時代
- 2012年11月30日 14:38
- エッセイ
本日の画像の一枚目は、神保町のとある古本屋の前に置かれたホワイトボード。
雨の日以外は毎日、店主が天気のことや時事問題やおすすめの本やイベント情報や俳句や短歌など何かしらを書いて表に出しているのだ。
ぼくはこれをお昼休みのときにちょっと立ち止まっては毎日読んでいるのである。
たいていはどうでもいい取るに足りないことが書かれているのだが、一昨日はちょっとだけふうんと思わせることが描かれていたのでパシャリ。なかなか刺激的なうまいことを言うじゃないかと上目線。市井の人だって、こういう鋭いことをときには言えるんだよなあと思った。
ほんの一昔前だったらきっとすぐさま消滅していたような言葉である。
しかしぼくがこうやってインターネット上にアップすることで、幸か不幸か永遠にアーカイブされるのである。
不思議で、おかしな時代だと思う。
インターネットというツールを得た下々の人々の、下から突き上げるパワーはそうそう止められるはずもないだろうなと、ぼんやりと思う。
で、二枚目はなんの変哲もない裂けるチーズ。
って今書いてみて思ったけど「裂ける」という字面ってちょっと怖い。暴力的だ。口が裂ける、股が裂ける、肛門が裂ける……ガクガクブルブル。
さて、昨日は家でひとり静かに晩酌しておりました。
ビールとワイン。おつまみにはソーセージとほうれん草サラダ。そして裂けるチーズ。
最初は中国の古典に学ぶとかいう本を読みながら飲食しておりましたが、しばらくすると酔ってきて、あとはいろいろとぼんやりぼんやり思いを巡らせておりました。
と、ふと裂けるチーズで思い出しました。
大学一年の時の彼女が「裂けるチーズは細かく裂かんとおいしくないとって」と言って、異様に細かく裂いていたことを。そしてぼくは彼女の裂いたチーズをそうめんのように頬張っていたことを。裂けるチーズは裂けば裂くほどうまい。それはそうなのかもしれないが、いま考えるとそんなにべたべた触ったら汚いではないかと思った。
あの頃よりは潔癖になってしまったのか、どうか。
で、その流れで裂けるチーズは細かく裂くべき論を持っていた彼女、仮にYさんとしておこう、Yさんにまつわるエトセトラも思い出した。
Yさんとは、一年くらいの間に何度となく別れたり戻ったりしていて、ぐだぐだだったのだが、あるとき、ケンカをしたのかケンカ別れをしたのか、ぼくの単車のシートに口紅で「死ね!」と書かれていたことがあった。
しかし、そうか、口紅は筆記用具でもあったんだなあ、じゃなくて、口紅で死ねと書くなんて、よっぽどの怨念だと思う。
確かに相当に怒りにまかせて書き殴った感じではあった。
すまし顔でとがっている口紅の先っぽが、暴力的にぐにゃりぐじゅっとねじ曲がっているのがありありと想像できた。
10年以上も前の話ではある。
もちろんぼくは生きている。死んでいない。
気持ちさえ強ければ、願いは届く、呪いだってしっかりかかる。
というような言説を信じなくもないが、実際のところはそんなものよりも、あるのかないのかわからないような、ふわふわとした雰囲気や成り行きや運の力のほうが、よほど強力なのだろうと思う。思っている。
じゃなかったらぼくはもうとっくに死んでるに決まってる。
ロクな男ではありませんでしたし、これからもロクな男ではありませんから。