2018年09月

(2018年7月20日、代官山・蔦屋書店にて行われた第4回代官山人文カフェ:「人生を左右しない偶然について考えよう」冒頭)

» すべて読む

Simone_Weil_1921
ヴェイユ肖像(出典:Wikipedia

ぼくの哲学との出会いは、2010年の夏頃にハイデガー『存在と時間』(細谷貞雄訳・ちくま学芸文庫)を読み直そうと試みたところから始まる。

『存在と時間』は1927年にドイツで刊行され、第二次大戦後フランスで起こった実存主義の運動に大きな影響を与えた書物だが、ふしぎなことにその実存主義を批判した構造主義の哲学にさえ影響を与えた。そのようなことは読書を続けていくうちに、とくに木田元先生の諸著作に触れることを通じて知ってゆくのだが、『存在と時間』をなんとか理解しようと努めていると(ハイデガーが研究した)ニーチェ、(ハイデガーの)ナチス加担問題、(ハイデガーが言及している)ヘーゲル、(ハイデガーの言う)"現象学"についての解説本を多数記している竹田青嗣、(レヴィナスの)ハイデガー批判などが気になり、『存在と時間』にむかう読書という幹が枝葉をどんどん増やしてしまった。

ぼくは2016年になってようやく『フランス現代思想史』(中公新書)を読む。「ドイツ哲学にばかりかまけていないで、たまにはフランス哲学にも目を配ろう」という気持ちに(ようやく)なるのに、6年かかったのだった。

さてその頃、Twitterでもいくつかフランス語を用いる哲学者のbotをフォローした。しばらく眺めているとそのなかに、妙に気になる、つまりツイート内容がちょっと不可解な=部分的に文意が不明なbotがあった。それが、Simone Weilのbotだったのだ。(レヴィナスbotも同時にフォローしたが、ほぼ何を言っているのか分からないbotだったので、取り付く島が無かった)

» すべて読む

» すべて読む
NEW POST
関連本
CATEGORIES