2018年05月


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オタイメサのゲートで、米国入国審査を待つ車の列(以下、撮影はすべて筆者)


"はじめに"


米国の自宅からメキシコの職場への「越境」通勤も、2カ月になろうとしている。私はかつてメキシコシティやそれ以外のメキシコの都市に住んだことがあり、メキシコだからといって、特にびっくりするようなことはない。でも毎日国境を越える暮らしは初めてで、人間の都合で荒野に設定された「線」が人間の生活に大きく影響することを実感している。
メキシコへ自家用車で入国する場合、事実上審査はなく、パスポートを見せることもない。でも米国への入国は書類の審査があり、場合によっては車内やトランクの検査があり、相応の時間がかかる。タイミングが悪いと2時間近く待つことになると聞いていたが、実際その通りだった。そしてこれも予想していたけど、長い列を作って入国審査の順番を待つ車のあいだを、たくさんの物売りや物乞いが歩いていた。

2カ月のあいだ、彼らから教えてもらったこともあるように感じている。国境通過時に優先レーンを利用するパスが取れたので、彼らとももう会わなくなるけれど、忘れてしまう前に彼らのことを書いておこうと思った。

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『辰野登恵子アトリエ』三上豊編・著、桜井ただひさ撮影、せりか書房、2017年



アトリエ---「死者」の遺せしもの

2014年、画家・版画家の辰野登恵子が転移性肝癌のため64歳で逝去した。辰野は1980年代に抽象と具象のはざまにあるような油彩作品でスタイルを確立した画家だ。美術館での展示経験も多く、2003年からは多摩美術大学で教鞭を執り多くの後進を育てた。現代美術界ではその名を知らない人はほとんどいない巨匠のひとりである。
デビュー当時から高い評価を得て精力的な活動を展開してきた辰野だが、とくに大学勤めが始まってからは制作基盤の見直しを考え始めていたようだ。腰を据えて制作に臨める新しいアトリエを欲し、杉並・下井草の閑静な住宅街に念願となる半地下構造の住居兼アトリエを新築したのは、辰野が逝去する8年前、2006年のことだ。
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---『回花歌』梗概---
舞台は2000年代、とある大陸の西方にある街。"私"と家族は牛肉麺屋を営んでいる。街は、かつて核実験が行なわれていた土地のすぐ近くにあり、その影響を暗に示すような出来事が、家族の周囲ではいろいろと起きている。しかし、"私"と家族を含め、街の人々は核や原子力に対する正しい知識や情報を持たず、故に恐れを抱くこともない。彼らは宗教と自身の信仰心を大事にし、家族や親族、友達を大事にして生きている。「何かがおかしい」と感じられるような状況下でも、人々の生活は変わらずに続いてゆく。『回花歌』は、そんな物語である。
 

11---"叔父の家"より続く)

12--- "開けゴマ!"


昨夜は午前2時過ぎに叔父の家から帰ってきたせいで、朝から私は頭がぼんやりして身体もまったくシャキっとせず、お茶をこぼしてしまったり、お碗を落として割ってしまったりしたけれど、兄やライヒはいつもと変わらず注文を受けては、せっせとリズム良く牛肉麺を作り続けていた。

昼の混雑を過ぎ、みんなで昼食を済ませた後、母と叔母、私は明日の夜、店で行う食事会の買い出しに出た。明日はハラブが戻ってくるし、明後日は薬草を摘みに行くからということで、関係者を招いて食事会を催すことになったのである。結果、総勢20名ほどが食事会に参加することになった。イマームも食事会に来てくれることになり、これは名誉なことだと父や叔父は俄然やる気を出し、食べきれないほどの料理をふるまうよう母や叔母に言いつけた。

八百屋の店先に陳列された赤子の頭ほどもある大きな馬鈴薯を手にとり、叔母は憮然とした表情で「食事会なんてまったく面倒くさいよ」とぶつぶつ言った。その横で母が「ハラブが帰ってくるお祝いでもあるんだし」と叔母をなだめながらトマトを手に取っていた。
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きょうのてらださん(運転する春)より続く。

イオンにて

イオン近江八幡ショッピングセンター

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きょうのてらださん(冬の日々---ラスト!)より続く。

とある悩み---新車

ラパンでずんずん♪ イオンに向かう

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