2017年10月

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田代一倫『ウルルンド』(発行:KULA、2017年)


あわいに漂う写真

 9月に刊行された田代一倫の写真集『ウルルンド』(KULA、2017年)を折に触れては眺めている。「ウルルンド」とは竹島/独島の近くに浮かぶ韓国の離島。ハングルで「울릉도」、漢字名で「鬱陵島」と書く。
 田代は今年の2月と5月にこの小さな島を訪れ、数日間の滞在中に出会った現地の人々を撮影した。前作の写真集『はまゆりの頃に 三陸、福島 2011~2013年』(里山社、2013年)が2年間に撮影期間が及ぶ長期のシリーズで、453点もの肖像写真を収録した大作だったことを思えば、「ウルルンド」をめぐる2つの取材旅行はごくささやかな規模である。B5変形72頁の小冊子という体裁をとった本書は、旅のささやかさを仕様においても体現していると言えよう。
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1:レポート

SARAJEVO NOW/さらえぼNOW』より続く

ローカルの「麺」が無い? 

■ ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボに滞在して2日目、「おかしいな」と思い始めた。そういえば、レストランや食堂で『麺』を使った地元の料理を全く見ない。パスタの店はある。試しにアラビアータを注文して食べた。しかし、日本のそれと変わったところのないアラビアータだった。イタリア料理の域を出たものではなかった。

■ 私が「ボスニアにも当然『麺』料理はあるだろう」と考えたのには、次の理由がある。


  1. 「麺」はシルクロードを伝って普及したはずだ。
  2. シルクロードは中国の西安とローマを結ぶ貿易路。バルカン半島もシルクロードと無関係ではないだろう。
  3. ボスニアはオスマントルコに支配されていた歴史がある(15C後半-19C後半)。その時代に東方の「麺」文化が流入した可能性があるのではないか。


■ ということから、中国の牛肉麺や中央アジアのラグマンのような料理が、当然ボスニアにあるだろうと考えた。また、ボスニアにはイスラム教徒が多い。そのため、『麺』を使ったハラ-ル料理が食べられるのではないかとワクワクしていた。しかし、実際に私が行った食堂では見なかったし、いくつか路上に置かれていた食堂のメニュー表の中にも、ローカルの『麺』料理を見つけることはできなかった。
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きょうのてらださん---バイト編改め、喫茶バイトの日々②)より続く。

きょうも明日も→飲んだり食べたりダイエット

食べたくて食べたくてもだえる。

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連載【芸術とスタンダール症候群】とは?

筆者が【幸福否定の研究】を続ける上で問題意識として浮上してきた、「芸術の本質とは何か?」という問いを探る試み。『スタンダール症候群』を芸術鑑賞時の幸福否定の反応として扱い、龍安寺の石庭をサンプルとして扱う。

連載の流れは以下のようになる。

 1. 現状の成果…龍安寺の石庭の配置を解く
 2. スタンダール症候群の説明
 3. スタンダール症候群が出る作品
 4. スタンダール症候群が出やすい条件
 5. 芸術の本質とは何か?



『芸術とスタンダール症候群---4:スタンダール症候群とは?①から続く)

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画像出展:Scrapbookpages Blog

 アウシュヴィッツのガス室へ全裸で連れ込まれるユダヤ人男性たちの写真を評して、男性の突起物というのは物哀しさを誘う、と書いたのは誰だっただろうか。誰が書いたどの本だったかは忘れてしまったが、その文章を読んで以来、私は男性の突起物が引き起こす様々な悲喜劇に、時々、思いを馳せるようになった。言うまでもなく、男性の突起物は生殖器としての機能が遺伝的に付与されており、その限りにおいては、他の動植物の雄と何ら変わりがない。人間の男性もまた、本能によって女性との生殖行為に励むのであり、より優れた子孫を残すために、あの奇妙な突起物が備えられている。 » すべて読む

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きょうのてらださん---ひまつらのわたし)より続く。

きょうも喫茶バイトの日々---②

喫茶ミニ事件① 開店してるのに終了の札が出てた。

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Long Beach21-Edit

【ロングビーチのマリアさま --- 04】
から続く


ふたたび長堤聖寺


日曜日の朝、いつものように早起きして海岸沿いの遊歩道を走り、その帰り、マリアさまに立ち寄った。今日は長堤聖寺で一般向けの行事があるはずだけど、どんな人が来るんだろう?朝の7時半をまわったあたりで、長堤聖寺の入り口に東南アジア系の男性がふたり腰かけて、世間話をしている。英語ではない。

 

入り口のドアは開いていて、中が見えた。思ったより明るい。話している男性たちに聞いてみた。



「一般向けの行事があるんですか?」

「あるよ。今日は阿弥陀経だけど、参加していく?」

「今日でなくて、また今度このお寺は、何語で話をするんですか?」

「ここは中国のお寺なんだ。でも中国語とベトナム語と英語で話してるよ」

「あなた方が話している言葉は、何語なんですか?」

「ベトナム語」


英語が通じるなら、一度来てもいいかもしれない。そう思いながら、長堤聖寺を後にした。 » すべて読む
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 2017年9月30日に開かれた新宿文藝シンジケート第79回読書会の課題図書は、白田秀彰『性表現規制の文化史』(亜紀書房、2017)。推薦者は荒木優太。以下に、当日使用した資料と映像の一部を掲載する。

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1:NOW


サラエボ、イメージと現実と

■ 「SARAJEVO NOW」これは、サラエボにある歴史博物館の外壁にかけられていた垂れ幕に印字されていたものである。2017年6月末、私はボスニアの首都サラエボに6日間滞在して様々な場所を訪れた。なかでも最も強い印象を受けたのが、この博物館であった。

■ サラエボを1人で旅した理由はなんだったろう。正直、はっきりと言えるような理由はない。また、ひとつではない複数の理由が重なり、私はボスニアに飛ぶことに決めた。

■ サラエボという土地の名をはじめて知ったのは、高校時代である。90年代半ば、テレビのニュースではサラエボ内紛の惨状が連日伝えられた。民族浄化、ジェノサイド、大量虐殺という言葉もそこで知った。その連日の報道により、私はサラエボに対して「民族紛争」というイメージを強く持つこととなった。そして、サラエボに実際に行ってみるまで、そのイメージが払拭されることはなかった。

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