2015年11月


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横山裕一『ルーム』、ハモニカブックス、2013年 (画像:版元HPより)
 



「真の対話に言語が必要とは限らない」 

横山裕一『ルーム』より

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 考えてみると、あれはもう15年近くも前の事になる。タイの首都バンコクにあるチュワタナジムの周辺をジムメイト達と走っていた早朝の事だ。ポツポツと落ちだした雨は十五分程経った頃には本降りといった様相で、その間にジムメイト達は、一人また一人とランニングコースを外れていく。けれども試合の近かった僕はどうしてもノルマをこなしたかった。

 一人きりでロードワークを続けていると、ジムまでの帰り道で足を止めて待ってくれているジムメイトが居る事に気付いた。彼は雨粒に顔をしかめながら、両手で肩を抱いて身をすくめる、恐らくは万国共通の、あの震えるようなジェスチャーをして僕を心配そうに見詰めていた。勿論――雨で体が冷えるぞ――の意味だが、彼の気遣いに感謝しながらも「大丈夫だ」と手で示して、「ありがとう」の意味で笑顔を返した。


  
※ ネットでヨドシンを観ることができる、西岡との一戦。この試合も痛烈なKO負けだった。 
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ティンプーの目抜き通りを歩く人たち


【首都、ティンプー】ブータンについて---21から続く
(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)

午後の街で

午前中に見学した工場で作ったお線香を売っている店があるというので、食後に出かけた。これも雑居ビルの2階にある、小売店というより卸売りの問屋のような、薄暗くて活気のない場所だった。帳簿係の女性が一人いるだけだ。お線香はたくさんあったが、何も表示がなくて、どういう種類のお線香で値段がいくらなのかわからない。商売っ気はまるでなかった。
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(↑有島にも泡鳴にも全く関係ないですけど、『野火』良かったですよ)。

 有島武郎×岩野泡鳴という危ないBLを予感させるカップリング論、「泡鳴に応答する――有島武郎『動かぬ時計』の「伝統」の問題」を書いた。有島のマイナーな短篇小説『動かぬ時計』、その主人公であるR教授の「伝統」主義から、二度の論争を繰り広げた岩野泡鳴への有島なりの応答を読み取る。文字数は14370字、原稿用紙だと36枚。目次は以下。


一、学問と生活
二、有島武郎と岩野泡鳴(明治四三=一九一〇年)
三、有島武郎と岩野泡鳴(大正六=一九一七年)
四、〈学問‐伝統〉から脱落する〈生〉
五、「伝統」から「ミリウ」へ
 

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ミレー、《種をまく人》のヴァリアント2点。出典:National Museum Wales(左)、Wikipedia(右)


会期が終了してからだいぶ月日が経っているにも関わらず、なぜか頭の片隅に残っていて折りに触れては思い出されてくる展覧会というものがある。ひとむかし前、と言えるくらい程良く時間が経過した展覧会ならば、「1970年の『人間と物質』展は伝説的展覧会だ」「1992年の『アノーマリー』の熱気は凄かった」などともっともらしい歴史的価値を授けて語りやすいのだが、中途半端な近過去の展覧会は「歴史」として定位するには日が浅すぎるために、話題としてどうしても蒸し返しにくいところがある。機を逸したアートレビューなど誰も必要としないし、積極的な存在意義もないのかもしれない。だが私はあえてここで、通常のアートレビューに求められるようなアクチュアリティーだとか即時的な価値判断といったものから距離を置き、中途半端な近過去の展覧会や記憶の底に沈殿する美術作品をめぐる雑感の掘り起こしを試みてみたい。美術作品をめぐる思考は本来、時間をかけて熟成されていくべきものだと考えているからだ。
 
というわけで今回、私が“機を逸して”俎上に載せる展覧会は、昨年(2014年)9月に府中市美術館で開催された「ミレー展 愛しきものたちへのまなざし」と10月に三菱一号館美術館で開催された「ボストン美術館 ミレー展―傑作の数々と画家の真実」である(ミレーについての展覧会が立て続けに行われたのは昨年がミレーの生誕200周年だったからなのだが、生誕100年でも没後50年でもない「生誕200年」という数字の間延び感もなかなか絶妙だと思う)。
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