2014年04月


伊勢佐木町でぶらぶらと遊んで暮らしていた頃、桜木町にあった飲み屋によく通った。伊勢佐木町から桜木町までは歩いて数分の距離であり、散歩にはうってつけなのだが、その頃の私は馬鹿みたいにタクシーを利用していて、また、タクシーに乗るのが好きだった。人々がタクシーに乗る理由は、当然ながら、その利便性だろうが、私自身はタクシードライバーとの一過性の会話もその醍醐味のひとつだった。もちろん、寡黙なタクシードライバーが圧倒的に多い。タクシードライバーという職業は、客が望む場所に客を連れて行くことが仕事であって、決して、客と楽しく会話をすることが仕事ではない。タクシードライバーが寡黙であるからといって、客はタクシードライバーを非難してはならないのである。
 
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 買わないだろうと思っていた村上春樹の『女のいない男たち』を先程購入し、まえがきと『女のいない男たち』を読んだ。

 買わないだろうと思っていたのには、二つの理由がある。

 まず、最もどうでも良い理由から。

 『文藝春秋』に掲載されたさいに三つの作品(『ドライブ・マイ・カー』、『イエスタデイ』、『木野』)を読んでいたこと。

 次に、最も重要な理由。

 僕はまだ「女のいない男たち」ではないということ。   » すべて読む
承前

 では、ハルカトミユキについて具体的に書くことにしよう。
 まず、ハルカトミユキとは誰か?という疑問が浮かぶように思える。
 端的に言えば、ハルカトミユキとは「ハルカ」ト「ミユキ」のことである。
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ビルとビルとの間で切り取られたような 
一瞬を切り取った写真のような 

人間が識別できる範囲において青の入り混じった黒い空が告げるのは、
ほら、方々に散り始め各々の偽りの姿へと帰っていく街娼たちの 
あの夜の中においてのみ輝くことのできる不思議な秘密の蜜のような、
快楽と幻想と苦痛の交差した時間の終わりを示す 

帰宅の途につく彼女らの足は重く冷たく、
霧雨を頬に真に受けて、
まるで涙のような粒が黒い夜に碇を下ろす

人間の真の動機を知っている彼女らは、
この世界と人とに己を求めない 

原始から彼女らはそれを知っていた すべてを知っていた 

天上の女神とは悪魔であった 
地上の楽園とは地獄であった 

しかし、もしもおまえが太陽と海の重なりあった黄金色を、
あるいは、太陽と海との境界が鋭い刃のように青く煌めくのを、
その束の間の凪の瞬間を偶然に発見したならば、

おまえの想念が真っ逆さまにたちまち巨大な渦巻きとなり 
そのとき人間たちの真の動機が、世界の真の成り立ちが 
大風によってなぎ倒される大樹のように、
長い長い時間をかけて崩壊していくのを目撃するだろう 

おまえは街娼らの周知だった事実を、
その光景を、そのときこそ知るだろう 

それが陽光を自ら遮った、
己を闇夜へと解き放った 
あの隠された人間たちの生きている世界であることを 
それこそがこの世界の唯一の真実であったことを
 


転載元:亜猟社
2013-12-18【詩】カタストロフ
http://hsmt1975.hatenablog.com/entry/2013/12/18/215053
 
bandicam 2014-04-20 13-19-10-888
↑三浦つとむ『この直言を敢えてする』、こぶし書房、1996。

 三浦つとむ(1911-1989)。哲学者・言語学者。本人は「科学者」の呼称を好んだ。本名は三浦二郎。マルクス・エンゲルスを独学で研究し、弁証法への理解を深める。戦後、スターリンの言語学を批判した時枝誠記を支持し、時枝言語学を批判的に継承する。主著に『哲学入門』(真善美社、1948)、『弁証法はどういう科学か』(講談社、1955)、『日本語はどういう言語か』(講談社、1956)、『認識と言語の理論』(勁草書房、1967-1972)。その他多数。
 
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 日本では2014年、アメリカでは2013年に公開された英米合作映画です。監督は気鋭のスティーブ・マックイーンで、主人公をキウェテル・イジョフォーが演じました。アカデミー作品賞と、助演女優賞(ルピタ・ニョンゴ)で二冠を獲得、ゴールデングローブ賞など他にも受賞多数で、映画好きなら見ていなくても気になっていた人は多いのではないでしょうか。 » すべて読む
(承前)

 「ハルカトミユキはすばらしい!」と唯一語ることの出来ない相手は、他ならぬハルカトミユキである。 

 前回の終わりに、私はそう書いた。それには理由があるとも。
 簡単に言えば、私は怖いのだ。
 
 例えば、こんな風に思われてしまうのが。


みんな歌なぞ聴いてはゐない
聴いてるやうなふりだけはする

みんなたゞ冷たい心を持つてゐて
歌なぞどうだつてかまはないのだ

それなのに聴いてるやうなふりはする
そして盛んに拍手を送る

中原中也「詩人は辛い」『新編 中原中也全集第一巻 詩1』角川書店、2000年、339-340頁
 
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 トオマス・マンのそう長くはないこの小説の中には、一人の人間が如何に文学を志すようになり、文学を志す人間が如何にそうではない人間と相まみえないか、しかし、どれほど平凡に生きることに憧れそれらを愛しているか、つまり、如何に俗人であるかがすべて書かれている。一部の芸術家が自らを世俗と切り離された高貴な人間であると確信するところの欺瞞を、それがどのような種類の欺瞞であるかを密かに知りながら、つまり自身の中にその胚芽を認めながらも、小説家はそれを恥じなければならないだろう。

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承前) 

 前回の末尾にも引用した言葉だが、小林秀雄によると、すばらしい!と言うことは溜息そのものである。

(以下、再掲)


趣味のない批評家、つまり良心のない批評家は如何なる作品の前に立っても驚かぬ。何故って徐にポケットから物差を索り出せばよいからである。だが少しでも良心をもつ批評家は物差を出すのが恥ずかしい、だから素手で行こうとする。処が途中で止って了う。これから先は兎や角言う可きでない、すばらしい!と溜息なんか吐いて了う。何故君は口から出ようとする溜息をじっと怺えてみないのか?君の愛と情熱との不足が探求の誠実を奪うのだ。若し君が前にした天才の情熱の百分の一でも所有していたなら、君は彼の魂の理論を了解するのである。何故って君の前にある作品を創ったものは鬼でもなければ魔でもないからである。この時君に溜息をする暇があるだろうか?

(小林秀雄「測鉛Ⅱ」『小林秀雄全作品〈1〉様々なる意匠』、新潮社、2002年、110頁)
 


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 En-Sophの編集者も書いていると一部で話題になっている『Witchenkare』第五号を読んだ(ちなみに第四号にはエンソフの首領こと、橋本浩さんが寄稿している)。雑誌のコンセプトの説明そのものは、その執筆者自身が的確に解説してくれているので、一々言及しない(といっても、私はずっと「台所まわり」に関する料理雑誌だと思っていたが、実のところまったく違った)。小説・エッセイ・評論など34のコンテンツすべてを読んだので、そのうち3つを選んで少し感想を述べたい。コメントするのは、柳瀬博一さん、北條一浩さん、藤森陽子さんのものだ。

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