2013年10月

20日の日曜日は生涯10度目の引っ越しであった。
ぼくは正午くらいから引っ越し作業をしていたが、すでにほぼ大半は片付いていたので、15時には終わってしまった。

それからすることもなく暇だったので、最後のランニングに出かけた。
このコースを走ることは、たぶん一生ないだろうなあと思った。

しかし涙っぽい感慨は特に湧いてはこなかった。
ただ、多少の汗が流れただけだった。 » すべて読む
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↑『ビオストーリー』、第4号、2005・11、18p

 吉野裕子(1916‐2008)。ヒロコ、旧姓赤池。民俗学者。50歳頃、習っていた日本舞踊の扇に関心を持ち、独学で調査を始める。以降、在野で日本の蛇信仰や陰陽五行などを研究し、発表を続ける。主著に『扇――「性」と古代信仰の秘密を物語る「扇」の謎――』(学生社、1970)、『陰陽五行からみた日本の祭』(弘文堂、1978)、『蛇――日本の蛇信仰――』(法政大学出版局、1979)。その他多数。
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【幸福否定の研究とは?】

勉強するために机に向かおうとすると、掃除などの他の事をしたくなったり、娯楽に耽りたくなる。自分の進歩に関係する事は、実行することが難しく、“時間潰し”は何時間でも苦もなくできてしまう。自らを“幸福にしよう”、"進歩、成長させよう”と思う反面、“幸福”や“進歩”から遠ざける行動をとってしまう、人間の心のしくみに関する研究。心理療法家、超心理学者の笠原敏雄が提唱している。



前回は、「好転の否定」という重要な問題について考察しましたが、今回は心理療法を進めていく上で観察される「無意識の現象」というものについて解説します。(注1)大きなポイントとしては、以下の二点が存在します。順にみていきましょう。




  1. 治療者の理解が深まってくると、直前の出来事を探っても症状が消えにくくなる。
  2. 治療者が「抵抗」に直面しているかどうかが、治療効果に関係してくる。

 
 



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↑『エリック・ホッファー・ブック――情熱的な精神の軌跡』[以下EHBと略記]、作品社、2003。

 エリック・ホッファー Eric Hoffer(1902‐1983)。アメリカの社会哲学者。正規の学校教育を一切受けないまま18歳で天涯孤独の身になり、様々な職を転々としたのち、40歳近くから著作活動に入る。〈沖仲士の哲学者〉として知られる。著書に『大衆運動』(The True Believer, 1950)、『現代という時代の気質』(The Temper of Our Time, 1967)、『波止場日記』(Woring and Thinking on the Waterfront, 1968)。その他多数。

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 これは凡ゆる小説にいえることだが、あるキャラクターが作中で一番最初に一体どんな行動をとったか、ということは、決して読み流してはならない小説読解の重要ポイントだ。というのも、その行動如何でキャラクターの第一印象が決定してしまうからだ。舞城王太郎『阿修羅ガール』(新潮文庫、2005)の場合、それは余り親しくもないクラスメイトとのセックスであり、とりわけ「顔射」されることに激怒することだった。顔射に怒る少女、これが本書主人公の第一印象である。


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      ↑『東京朝日新聞』1921年11月9日。

 野村隈畔(1884-1921)。読みはワイハン、本名は善兵衛。哲学者。小学校卒業以降、独学により東洋哲学・西洋哲学を学び、フランスの哲学者ベルクソンの解説書を書く。最期は、自身の哲学に共鳴する女学生と情死。著書に『ベルグソンと現代思潮』(大同館、1914)、『自我批判の哲学』(大同館書店、1919)、『現代の哲学及哲学者』(京文社、1921)、『孤独の行者』(京文社、1922)。その他多数。


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転載元:大村益三【〈B術の生態系〉Bな人のBな術(2013年10月3日更新)



終了したばかりの過去のドラマから引く。因みに先週土曜日(2013年9月28日)までの懸念材料であった「あまロス(あまちゃんロス症候群)」等と呼ばれていたもののほぼ全ては、早晩時間が解決してくれるだろう。



(黒川)お客さん あの ゼロが1個多いんですけど…。
(荒巻)知っとるわ ボケ あほんだら! われ あほんだら 今 車ん中で話してた事 あほんだら 誰にも言うなよ あほんだら! おう? 大江戸タクシーの黒川正宗さんよ!
(黒川)はい…。
(春子ナレ)「太巻さんは パパを恫喝しました。得意の関西弁で」。
(荒巻)もし あほんだら どっかに漏れたら あほんだら 己の仕業やからな あほんだら! 自分東京湾に沈められたいんか! あほんだら!あほんだら!あほんだら!あほんだら!あほんだら! よし行こうか。

「あまちゃん」第95話
 

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 ↑『三島由紀夫vs東大全共闘 1969-2000』(藤原書店、2000)の251頁。


 小阪修平(1947~2007)。哲学者・思想家。1979年から執筆活動をはじめ、哲学・思想を中心に幅広く評論活動を展開。難解な哲学を平易に解説することに定評があり、哲学ブームのきっかけを作った。著書に『イラスト西洋哲学史』(宝島社、1984)、『非在の海――三島由紀夫と戦後社会のニヒリズム』(河出書房新社、1988)、『市民社会と理念の解体』(彩流社、1994)。『考える技法――小論文で頭がやわらかくなる』(PHP新書、2005)。その他多数。
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 ポスドク、アカハラ、ワープア、ネオリベ…。既にステレオタイプ化してしまった諸々の前提を確認する必要はもうないだろう。一言、大学は現在危機的だ、といえばいい。そして、もし、二の句として次ぐべきことがあるとしたら、「廃墟と化した大学を嘆くことではなく、廃墟のあとに、いかなる未来図を描くのか」、これで十分だ(藤田尚志「条件付きの大学――フランスにおける哲学と大学」、西山雄二編『哲学と大学』收、未来社、2009)。嘆き悲しみ、他人のせいにするのはもうコリゴリだ。今から始めようとする私の拙い書き物は、この未来図のためのささやかな測量データを提供することを目指している。

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◆ 確か朝日新聞だったと思うが、田原総一朗の、新聞掲載の推薦文としてはやや長い賞賛コメントに興味を惹かれて、9月の末に新宿ピカデリーまで出かけた。事前の情報は殆ど得ていなかったので、背中を押したのはかれだ、ということになる。

◆ でも、実はそれほど期待していたわけではなくて、なぜかと言えば、まずタイトルが失敗したクライム・ノヴェルの邦題みたいで、あまりにもちょっとどうなんだそれはという感じだったし、「新潮45」の取材記事から書かれた原作にしても、大スクープは大スクープなのだとしても、こう書いては何だが事件自体は「平凡」なものだ。いかにもな行為で死刑囚となったヤクザが、似たような手口で「実はまだ何人か殺して」いて、「首謀者は捕まっていない」とか言いだしても、正直なところ「あっそう」という感じも拭えず、従ってクライム・ムービーとしてもミステリとしてもネタとしての新味は乏しく、もしかするとこれは、朝ナマの進行さえ覚束なくなった耄碌老人の過大評価、ありがちな評判倒れかとも思っていたのだった。

◆ しかし、映画は違った。平凡、などとはおよそかけ離れたものだった。ぼくの想像よりずっと、遥か上に振り切っていて、たぶん、傑作、といってしまってかまわない部類のものだと思った。少なくとも、リリー・フランキーやピエール瀧が支配する時間は。

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