2013年08月


もう一ヶ月以上前のことだが、広島県立美術館地下講堂にてChim↑Pom(チンポム)のトークショーがあった、ので、行った。


アート・アーチ・ひろしま2013

Chim↑Pom×アーサー・ビナード(詩人)×東琢磨(音楽・文化批評家)×ゲストという構成であった。 

まず、超絶出不精のわたしとしては奇跡の外出である。
夕方の18時からだったとはいえ、暑さが尋常ではなかった。別にここまで汗かいて行く価値なんてないんじゃないのかとも思ったが、なんとかがんばって行った。  » すべて読む
土曜日のことである。

昼下がりから英会話の授業を2コマ受けてその帰り道、お好み焼き屋に寄った。
16時ごろという中途半端な時間もあって、店内に客は皆無であった。店員が調理する鉄板の真正面であるカウンターに腰かけ、肉玉そば(つまりふつうの広島風お好み焼き)を注文した。
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フランスの美術大学で学部3年目の終わりに受ける試験Diplome National Art Plastiqueは、訳すると「国家造形資格」。日本でいう学士卒業に相当する。DNAPの合否を審査するのは学内の教員だけではない。政府から指名派遣された人間が来校し担当にあたる。いっぽう、受験資格は学生側に前もって言い渡される。受験を受けるのにこれまでの作品発表などが吟味され、一定のレベルに達していないと判断されれば、たとえ単位や成績に問題がなくても受験資格が与えられない。また受験資格は取得しても、作品の方向性が学校で扱っている分野とかみ合わない、学校にいても意味がないとされた場合は、たとえ試験に合格しても修士として翌年から同じ学校に在籍することができない学生もいる。そしてこれらの判断はいかなる場合にも覆されることはない。
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【幸福否定の研究とは?】

勉強するために机に向かおうとすると、掃除などの他の事をしたくなったり、娯楽に耽りたくなる。自分の進歩に関係する事は、実行することが難しく、“時間潰し”は何時間でも苦もなくできてしまう。自らを“幸福にしよう”、"進歩、成長させよう”と思う反面、“幸福”や“進歩”から遠ざける行動をとってしまう、人間の心のしくみに関する研究。心理療法家、超心理学者の笠原敏雄が提唱している。



前回は、私が6年前から、笠原氏の心理療法を追試し、下記項目の内容を肯定する結果を得たことを書きました。



①心因性症状は、直前の出来事が原因になっているか?

②原因の記憶が消えているか?

③原因となっていることは、幸福に関係することか?

④感情の演技で根本的な人格の変化が起こるか?

⑤抵抗に直面することで、心因性疾患の根本的な改善が起こるか?
 

 

今回は、心理療法を続けていく上で発生し、この連載でも何度か言及した”好転の否定”という問題について書きたいと思います。

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Tomoki-Imai-Semicircle-Law-4
今井智己 Tomoki Imai 『 "Semicircle Law" #25  2012.12.2 / 13.5 km Mt.Okura.』 Detail.
マッチアンドカンパニー刊(2013年)画像出典: gadabout.jp





  Chapter-1:結界の発生と消滅


◆ 2011年3月、東北地方が地震と津波に襲われた春、悲劇の土地の一部に【禁忌】の場所が生じ、【結界】が張り巡らされた。数十年前から土地と人々が奉じる【核】の神殿によって、その事態はもたらされた。【結界】と外を隔てる境の線は、複数の同心円、およびいくつかの飛び地を描き、内部への立ち入りは禁じられるか、厳しく制限された。二年と数ヶ月が過ぎたのち、自然科学の視点によるいくつかの観察結果と日本国政府の強い政治的意向から、【結界】は消滅し、姿を変えることとなった。

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 最近、『中河与一全集』(全12巻、角川書店、1966~1967)を捲る機会が多い。小説『天の夕顔』の一発屋としてのみ知られる、この不遇な作家について、いつか本格的に研究してみたいと思っているのだが、しかし、ここで語りたいのは中河についてのことではない。語ってみたいのは文学全集のこと、「全集」という概念成立の条件についてだ。 
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凡例


1:この翻訳はエミール・ブートルー(Emile Boutroux)の『自然法則の偶然性について』(De la contingence des lois de la nature [Paris,1898]の部分訳である。原著はINTERNET ARCHIVEで全て閲覧できる。
http://archive.org/details/delacontingence00bout

2:強調を示すイタリック体は「」に置き換えている。《》はそのまま用いており、〔〕は訳者による補足である。

3:訳出にあったって、野田又夫訳(創元社、1945・11)を適宜参照した。
 

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中村さんが津田沼にいる世界で(前篇)

「あ、それはそうとぼくさえきさんの書いている小説、読みましたよ」
と中村さん。
「そりゃ、ありがとうございます。どうでした??」
やや自信なさげな声でわたしはたずねる。
「うん、面白いんじゃないですかね」
「そうですか?」
「面白いですよ」

中村さんは手元のiPhoneにメールが着信したのを横目にしながらハイボールを注文した。わたしはすこしぬるくなったビールを啜った。
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展覧会レヴュー

「膜|filmembrane」@小金井アートスポット シャトー2F

展覧会ウェブサイトhttp://filmembrane.tumblr.com/ 

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膜。フィルム、牛乳の膜、サランラップ、羊膜、油膜、オブラートなどなど。膜というものを考えてみれば、なんてあやふやなものなのだ。薄くて、ぺろんしていて、頼りなく、面でしか存在できない。しかしなんとも無視し難い存在だ。それは壁のように両者を完全に分つ訳ではなく、ものの内部と外部に仲って両者の関係を取り持ったり(浸透)、あるものの表面の分身としてその主の表情・状態を浮かび上がらせたりする(膜が張る)。膜というものは、何かと何かの間や表面にあることで、ものの性質や状態への感覚を敏感にするのだ。

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gougai
↑田村紀雄『号外』(池田書店、昭四九・一二)と渡辺一雄『実録号外戦線』(新聞時代社、昭三八・九)。わざわざAmazonで注文して買った。図書館に置いてない!  

 最近、論考「号外に驚異せよ――国木田独歩と戦争ジャーナリズム――」(http://p.booklog.jp/book/74994)を書いた。目次は、第一章「『号外』評価の政治的力学」、第二章「「挙国一致」と報道の条件」、第三章「従軍記者/編集長としての独歩」、第四章「『牛肉と馬鈴薯』と驚異の願望」、第五章「驚異としてのテクスト」、第六章「独歩のアキレス」。日露戦争後のナショナリスティックな熱気が去った日常の虚しさを描いた国木田独歩の短編小説『号外』、これを独歩のジャーナリズムの経験の文脈から読み解いていこうするものだ。文字数は18632字、原稿用紙に直すと47枚程。中々のボリュームになった。
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