2013年04月

先日のクチャクチャグァポグァポの件の続き。

棺桶に片足突っ込んでいる人間に文句を言ってもしょうがないので、大人な振る舞いで解決することにした今日の朝。 すなわち、食べる時間を意図的にずらす。

大人は不快なことに対して直接訴えない。
ただ立ち去るのみである。

祖母はいつも7時30分くらいから朝ごはんを食べる。そして30分はごはんを食べている。そんな情報を母より入手した。ならば8時からごはんを食べよう。そうすれば、もう不快不愉快な朝ごはんタイムとはおさらばである。

起床。絵を描いて英語の勉強をして、7時30分。それから、ランニングにでかけた。ランニングは約20分。シャワーを浴びて約10分。ちょうど8時になる。完璧なタイムスケジュールである。心なしか、ランニングの足取りも軽い。気のせいか、瀬戸内海はいつにも増して穏やかである。

爽やかなハァハァを漏らしながら帰宅した。

さて、シャワーを浴びてごはんを…

…と思っていると、ちょうど祖母がごはんをよそっているところであった。
祖母はぼくを見て、「おはよう」と笑ったが、ぼくは声を失い、引きつった。 
» すべて読む


凡例


1:この翻訳はエミール・ブートルー(Emile Boutroux)の『自然法則の偶然性について』(De la contingence des lois de la nature [Paris,1898]の部分訳である。原著はINTERNET ARCHIVEで全て閲覧できる。
http://archive.org/details/delacontingence00bout

2:強調を示すイタリック体は「」に置き換えている。《》はそのまま用いており、〔〕は訳者による補足である。

3:訳出にあったって、野田又夫訳(創元社、1945・11)を適宜参照した。


 

» すべて読む
ぼくの朝は祖母の咀嚼音から始まる。

だいたい、7時半。

ぼくの生活リズムでは、朝起きて絵を描いてランニングして朝ごはん、という時間。
その時間が、祖母の朝ごはんと奇しくも重なるのだ。 

祖母のことは、別に嫌いでも好きでもない。
学会員なのでやや池田大作信仰が過剰だが、おおむね善良ではある。
少なくとも人に恨まれ疎まれるような性根の持ち主ではない。 

しかし、問題は咀嚼音である。
言うまでもなく、咀嚼音とは人が食べ物を噛むときの音である。

祖母は幼いころから耳が悪く、そのせいか昔から咀嚼音が強い。
最近はほぼ聴覚を失ってしまい、全聾に近くなり、正確にコミュニケーションをとるには筆談の必要があるくらいだということもあり、さらにその咀嚼音が悪化しているようなのである。祖母の食事中、間断なく響く。

クチャクチャグァポグァポ。
» すべて読む


凡例


1:この翻訳はエミール・ブートルー(Emile Boutroux)による『自然法則の偶然性について』(De la contingence des lois de la nature [Paris,1898]の部分訳である。原著はINTERNET ARCHIVEで全て閲覧できる。
http://archive.org/details/delacontingence00bout

2:強調を示すイタリック体は「」に置き換えている。《》はそのまま用いており、〔〕は訳者による補足である。

3:訳出にあったって、野田又夫訳(創元社、1945・11)を適宜参照した。


 

» すべて読む
"Next stop is Atomic Bomb Dome"

以前にもツイッターでつぶやいたが、めちゃくちゃ違和感がある。
広島の路面電車(広電という交通機関であります)の車内アナウンス。
» すべて読む
とうとう中村さんが仕事を終えて、新宿から新所沢に戻ってきた。わたしは彼を待っている間にどうしても一杯やりたくなってしまい、駅前の日高屋で餃子をつまみにビールを飲んでいた。我慢できなかったのだ。中村さんはわざわざ日高屋の前まで来てくれたので、わたしは急いで会計を済ませ、店を出て、歩きながら話した。
» すべて読む
(ここに、電子書籍販売サイト・パブーにて今月発表した論考「形式・飛躍・偶然―中河与一初期評論試論―」(http://p.booklog.jp/book/69055)を転載する。印税率の低下、キンドル販売での障害など、パプーは日を追うごとに使いにくくなり、書き手読み手の集まるプラットフォームの役割を果たせていない。よりよい発表媒体を探求するため、試験的に以下ブログ形式で同内容の論考を載せ、読みやすさ等を比較したい。読者諸氏の忌憚なきご意見を請う)。



目次

形式主義芸術論から偶然文学論へ
、中河与一の形式論
、菊池寛の内容論
、中河与一の偶然論
、文脈としてのベルクソン
、小松清の行動主義
、翻ってベルクソンから
、日本近代偶然文学論序説――二葉亭四迷から中河与一へ



» すべて読む
NEW POST
関連本
CATEGORIES