2012年04月

みなさん初めまして。これを読んでいる方もエンソフのメンバーの方も殆どが「初めまして」なのでとにかく初めまして。私は2009年よりフランスに住んでおり、パリから電車で40分の郊外・セルジーという町の美術学校に通っています。

これから書こうとしていることは留学をめざすようになってから今に至るまでの経緯ですが、正直ブログで自分の過去を曝け出すのはちょっとどうかと思っていました。ただ、もし記事を書く目的が私にあるとすれば、現在の視点から過去を思い返した際、その節々の場所的・社会的・経済的環境etcが自分の思考・行動・表現にどんな影響を与えていたか、そして現在や未来のそれとどのように繋がるのかを把握することはフランスで美大生をしている以上、重要なんじゃろなと考えた点にあります。

この記事は、だから何よりも自分の為に書こうと思うのです。
とは言っても、多くの方に読んでいただければ幸いです。


» すべて読む

キリーロフ「くっくっくっ、愚かな人間どもよ。われこそは、新世界の神になる男、ハイパーメディア神人キリーロフ様だ。私がクリエイトとするハイパーメディア幻獣を使って、ネオ四大幻獣の封印を解き放ち、グローバルスタンダードと高学歴ワーキングプアで腐りきったこの世界に、真のIT革命をもたらしてやろうぞ。フッハハハハハ」

» すべて読む

 
 太宰治の「女生徒」をたまたま読み返した。
 

 本当は「富獄百景」が読みたくて岩波文庫の『富獄百景/走れメロス』を風呂につかりながら読んでいたら、たまたまそれにぶつかったのである。

 「女生徒」の冒頭の文章はわりに有名だろう。普段文学作品を手に取らない人も知っていたりするのではないか。

» すべて読む
[承前]

わたしは2008年の夏ころからうつの為、精神科に通っている。言うまでも無くウェブ上において、精神的に問題を抱えている人々がいろいろなことを書き散らしているが、わたしにとっては、うつであっても日々日記(のようなもの)を書くことが、命綱になった。そのようなあり方でしか、わたしはわたし自身をドライブすることができないのだということに改めて気づかされた。さいわい、休職して8ヶ月が経ち、うつの症状はかなり和らいで、多少己の人生に対する意欲もでてきた。これを機に、自らのうつがどんな具合だったのか、できる限りふりかえってみたい。このことによって、うつが悪くなったらすっぱり更新を止めるつもりだが、一人でも多くの方にうつがどんな具合の病気なのかを知ってもらいたいので、しばらくうつ日記のエントリとそれ以外のエッセイ、翻訳のエントリが交互にポストされることになる。どうぞよろしく。


» すべて読む
序章 離れた音楽(聴取に関する熟考における)

木が木を打ち鳴らす恐ろしい残響に突然驚かされ、夢を見ない深い眠りから目覚めた。その音はわたしの意識の中でのみ生じた音響的なできごとだったのか?―物語も持続的な時間も無い一瞬の夢―それとも物理世界におけるリアルな音だったのか?その音は寝室から生じるサウンドとしては長すぎた。これは家のどこか別の場所から、エコーの響く場所、ミステリアスで離れた場所から、音がやってきたことを示唆している。あの音が、家の寝室以外からやってきた音だとすれば、わたしは侵入者の存在を、可能性としてではなく、確信する。そのサウンドはたった今から生じたもので、今に属している。つまりわたしの記述以外のどこから生まれたものでもない。


» すべて読む

凡例


 一、この翻訳はジルベール・シモンドンGilbert Simondonの『心的と集団的個体化』の新版(L'individuation psychique et collective (Paris, Aubier, 2007))に寄せられたベルナール・スティグレールBernard Stieglerの序文「思考の不安な異邦性とぺネロペーの形而上学」(L'INQUIETANTE ETRANGETE DE LA PENSEE ET LA METAPHYSIQUE DE PENELOPE)の部分訳である。訳題改変と小題は訳者によるものである。

 二、シモンドンの『心的と集団的個体化』は今日多く「心的かつ集団的個体化」や「心的・集団的個体化」と訳されるが、今回のスティグレールの文章では「と」(et)が重要な鍵語であり、その意味合いを損なわないよう、この翻訳では例外的に上記のように訳す。
 三、本文中の註はすべて割愛した。重要なものは《解説》で触れている。

 四、引用文を示すイタリック体の文章は「」に置き換えた。書物題名は『』。強調や引用を示す《》はそのまま用いた。
 五、訳の方針は出来る限り読みやすくなるよう心がけた。そのため、一文一文が短くなり、「.」と「。」が正確に対応していない。注意されたし。
――――――――――――――――――――

» すべて読む
 生まれながら、人は苦痛を被った。次は欲求だった。泣き叫び、助けをもとめた。それは助けられる権利があることや、人助けの好きな他の存在が実在していることを知る少し前のことで、そう泣き叫ぶのは、種の進化が母を呼ぶための声を私達に与えたからだ。苦痛で泣き叫び、そして助けられる。そしてその助けをふたたび欲するようになる。助けられることをまるで借金を取り立てるみたいに要求し、母親が待たせる時、我慢できないでimpatiemment泣き叫ぶ。
» すべて読む
わたしの頭は批評とは何かという問いにこの5年くらいかかりきりになっていた。批評の原点を考えると、まず哲学ではcritiqueということばがあって、これは批判と訳されることが多い。この哲学を源へとたどると、神学にたどり着く。神学について学ぶには、マクグラスの『キリスト教神学入門』が適当だ。ユダヤ教の異端であったイエスの考えがどのように理論化されていったかということがこの一冊でかなりの部分まで分かる。残念ながら、翻訳はいかにも学術書における直訳文体であまりこなれていないので、英文が読解できるという方は、邦訳ではなく、原著にあたられることをお勧めする。

» すべて読む
平成21年の夏、わたしはひどいうつ状態に陥っていた。当時、江戸川区東葛西で一人暮らしをしていたのだが、5日ほど布団から起き上がれず、仕方なく地下鉄東西線葛西駅前の心療内科に駆け込んだ。不眠を訴えたところ、ここは凄い藪医者で、いきなりロヒプノールという強い睡眠薬が処方されて、飲んで寝たら翌日左半身がしびれていて、驚いた。こりゃだめだと思って、精神科でカウンセリングを受けている友人に相談したところ、千葉県船橋にある病院を紹介してもらった。そこに通うようになってだいぶ良くなったのだが、平成23年の春に職場が大手町に変わり、夏ごろから再度うつが強くなり、希死念慮(要は脳内の具合によって死にたくなる)なども出てきて、とうとう休職するにいたった。 » すべて読む
NEW POST
関連本
CATEGORIES