卒業制作を終えた三月中頃、きしわぎは大学の就職科にひょっこり顔を出してみました。
これが、きしわぎの心に湧いた、仕事についての初めての疑問でした。
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いわゆるひとつのアラサーである。
個人情報を晒せば、今年で29歳。
二十代も終わりに近づいてきた。
よし、本田健の『20代にしておきたい17のこと』(だいわ文庫)を読むしかない。
とりあえず、そういうことにしてみる。
凡例
一、この翻訳はジルベール・シモンドンGilbert Simondonの『心的と集団的個体化』の新版(L'individuation psychique et collective (Paris, Aubier, 2007))に寄せられたベルナール・スティグレールBernard Stieglerの序文「思考の不安な異邦性とぺネロペーの形而上学」(L'INQUIETANTE ETRANGETE DE LA PENSEE ET LA METAPHYSIQUE DE PENELOPE)の部分訳である。訳題改変と小題は訳者によるものである。
二、シモンドンの『心的と集団的個体化』は今日多く「心的かつ集団的個体化」や「心的・集団的個体化」と訳されるが、今回のスティグレールの文章では「と」(et)が重要な鍵語であり、その意味合いを損なわないよう、この翻訳では例外的に上記のように訳す。
三、本文中の註はすべて割愛した。重要なものは《解説》で触れている。
四、引用文を示すイタリック体の文章は「」に置き換えた。書物題名は『』。強調や引用を示す《》はそのまま用いた。
五、訳の方針は出来る限り読みやすくなるよう心がけた。そのため、一文一文が短くなり、「.」と「。」が正確に対応していない。注意されたし。
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マネージャー「ねえ、みんな聞いて! わたし、きのう、ピーター・ドラッガーって人の『マネジメント』っていう本を見つけて、読んでみたの! とっても難しかったけど、部活のチームワークをよくする方法がいっぱい書いてあって、もし頑張れば、もしかしたら、甲子園にいけるかもしれない! みんな、この本を使って一緒に甲子園を目指そうよ!」
「多くの写真は、最上のセザンヌよりも美しい」(『ゲルハルト・リヒター 写真論/絵画論』 訳:清水 穣 淡交社)
一方で、誰かを認識することは受動的なことだ。これは不可避だ。求めに応じて、記憶の道筋にある、彼女について知っていること、先行する出会いの数々、エピソードなどを外に出してこれるのは、彼女や彼が名前をもっており、現前する個人(またはイメージや写真)と名前と感じられたもやもやしたもの、それらの混合物の周辺が一種ざわめいているからだ。感情的émotifなショックには認識がないことはないように見える。そのショックは私たちの物事の知性や意志に先行しているだけだ。うまくいっていればどんな場合でも、顔認識能力は一時的慢性的障害に陥ることはない(《顔貌失認prosopagnosie》は今日存在している神経科学や人工知能の多くの研究のうちの一つで、現象の情報処理モデルの構築の可能性から刺激を受けている)。あたかも、私達の人間性が、特に子供の頃に基礎をもっていて、出生後のしばらく、それが自分に向けられた微笑みに微笑みで応えているかのようだ。《微笑みで認めよ》(ウェルギリウスが「微笑ミデ認メナサイcognoscre risu」と言っていたように)。そしてそこで、はじめは奇跡的であると同時に幻想的に現われるものをもとにして、その発達の輪郭の基礎が形作られる。