最終回となる今回は、今まで1~8で書いてきた事を総括し、その後書きたかったけれども書かなかった事を簡単に紹介したい。

 まず序論とでもいうべき『ボクシングを打ち倒す者-1』で、レナードの言葉である「ビジネスマインド持って欲しい」という言葉を紹介した。そしてその言葉を「自らの利益を最大化して欲しい」という意味に捉え、そこからこの連載の目的を、日本ボクシング界においてそうするに必要な「自由」が果たして担保されているのかという問題について明らかにする事と定めた。その流れで「ボクシングジムについて(①~③)」において、試合を組むプロモーターや、選手の利益を確保するマネージャー、指導者であるトレーナーが日本の「ジム制度」では一つ屋根の下に独立していないという事実を示し、その為に起こる弊害を述べた。私は、その弊害が例えばファイトマネーの搾取であったり、選手がチケットを手売して自らのファイトマネーにしたり、或いはそれぞれプロモーター、マネージャー、トレーナーという専門の職能が育ちにくい現状であると考えて居る。ここでさてアメリカでは・・・・・・、という事で「モハメド・アリボクシング改革法」を紹介した。アメリカでは、プロモーターとマネージャーという利害が対立する両者を兼ねる事が禁じられている為、日本のようにボクサーが過剰に縛られる事はない。そして日本ボクシング界におけるこのような問題点はジムのみに課されるべきではなく、協会やJBCも含めたボクシング界全体が負担するべきと説いた。その理由はボクシング界自体が儲からない事(だからこそ搾取が起こる)、そしてジム会長は元々が指導者になるべき人材であって、興業を行ってチケットを売ったり、ジム経営を行ったりというビジネス面に長けた人々ではない事を述べた。そして「私的論考」において、ジム制度の問題点を解決する為には「ジム制度からのプロモーター権限の分離」が必要であると説いた。ジムがボクサーの育成機関としての本来の役割を忠実に果たし、問題点が解決されれば、多くが元ボクサーであるジム会長達はそれぞれの職能を発揮し易いのではないか。そして、並行してジム内にプロモーターが居るという通常のスタイルではなく、外部のプロモーターを協会が積極的に育てていく事が必要があると考える。つづいて問題にしたのがボクサーのジム移籍の問題である。これを「移籍について①、②」で、実例から現在の制度がどれだけ不合理で、ボクサー個人の権利が蔑ろにされているのかを述べ、それについて「私的論考」で、ボクサーに「移籍の自由化」を認める事を求めた。つづいて「私的論考②」では、亀田興毅、小関桃の両者の試合を通して、ボクサーとボクシングジム(協会も含まれるだろう)、さらにレフェリーやJBC、それらの癒着体制がボクシング界の信用性を貶めるものである事を述べた。この論考においては、それまでに述べてきた業界の癒着体制を裏付ける“状況証拠”のようなものだと思っている。私は何も、裏で不正な金銭が飛び交っていて、その結果としてこれらの事が起こるのだと言いたいのではない。そこまでは言えないが、事実から勘案してみれば、問題が「内輪の者を罰する事が出来ない」体質にあるのはごくごく当然の帰結だと思っている。

 

 以上が前回までの本編の纏めとなる。実は、この連載は夏までに終わらせようと思っていた。しかしそれは叶わず、結局半年に渡って連載を続け、しかも最近の更新は一月以上の間を空けてしまった。その為に、読者の目には全体としての構図はぼやけて映ってしまったと思う。また、(再度の記述になるが)連載の8回目以外では、個々の事例における個人名を出す事は控えた。それは、この連載で取り上げた問題は個人の責任で済まされるべきものではなく、あくまで日本ボクシング界全体の問題だと考えたからである。その為、特定の個人・団体を槍玉にあげる事はしたくなかった。更に、これも何度も述べている事だが「私的論考」以前の書き物には、基本的には「私」が登場しない。あえてそれを使用しない事で私見に走りすぎる自分への戒めとし、前半部分では問題点を浮き彫りにする事に務めた。本来ならば、「ジムについて」、「移籍について」で随所に「私」を登場させてジム制度からのプロモーター権限の分離などの自分の意見を明確に押し出していった方が読者の方々には分かり易かっただろうと思う。その点については読んで頂いた方には申し訳無かったと思う。しかし、それを分かりながらそうしなかったのは、「自分の意見を再確認する為」である。そうして書き終わった今でも、これまであげた自分の意見について「これはある程度正当性のある意見だ」と思える。私の言っている事は、最初にあげたレナードの言葉からも分かるように、「自由と権利」に関する話題が基礎になっている。自由化を推し進めた場合、例えば信用の無いジムは選手の移籍を避けられず、結果として潰れるような事が頻発するかもしれない。しかし自由というのはそういうものである。その中である程度の保護は必要だろうが、しかしだからといって「選手を雁字搦めにして彼等から搾取する事でジムが生き延びる」事が許されて良いのだろうか。そういったやり方が許される現状の日本ボクシング界は、崩壊寸前の社会主義体制のように見える。これは私だけの個人的な感想だろうか。

 
 この連載は今回で最終回となるが、本当はもっと書きたい事があった。例えば、
2000年以降世界王者は29人誕生している。それ以前の世界チャンピオンは、白井義男氏が1952年に世界タイトルを手にしてから、約五十年間で42人である(戸高英樹氏は二度の世界タイトル獲得経験があり、両者に渡って二度カウントしている)。実に二倍以上の量産ペースだが、世界と比して日本ボクシングのレベルはそれ程上がったのだろうか。それに相応しい人気を、日本ボクシング界は獲得しているだろうか。「日本ボクシング界は衰退している」という意見には、「世界チャンピオンの数は増えている」という反論が予想される。しかし世界タイトル認定団体が増え、更に同一階級同一認定団体で何人も「世界王者」が居る現在とそれ以前で、世界チャンピオンを同様の基準で扱う事にどれだけ意味があるのか。世界チャンピオンを誕生させる事、隙間を縫うようにして複数階級を制覇する事、それを目標としていて良いのだろうか。この問題についても詳しく論じようと思ったが、この連載のテーマがぼやけると考えて取りやめた(注 日本で認められている世界タイトル認定団体は基本的にWBAWBCのみである)。

 もう一点書きたかった点は、特に地方興行で目立つ噛ませ犬の存在である。かつてはこの役割をフィリピン人が担い、フィリピン人ボクサーの招聘禁止により現在ではタイ人が“代役”となっている。私自身、一年八ヶ月程でタイで七試合を経験した。タイ人噛ませ犬がどういう状況で作られ、日本に輸出されているかを現実に見ている。ある時、引退してから何年も経つムエタイのトレーナーが、選手の練習が終わってから急に靴を履いてボクシングの練習をはじめたのでどうしたのか聞くと、「今度日本でボクシングの試合なんだ」と言って、更に「ボクシングをやるのはじめて」と言って不安そうな顔を見せた事があった。驚くのと腹が立つのとで複雑だったが、そのトレーナーは後に「タイ国○○級○位」という肩書きで日本のリングに上がった事を知った。他にも、ムエタイで土曜日にKO負けした選手が月曜日には靴を履いてジムで練習をしているので聞いてみると、「次の日曜に日本でボクシングの試合なんだ」と言って、これも不安そうな顔をしていた。多くが準備期間も殆ど与えられず(普通一、二週間、OPBFタイトルなどで一ヶ月程だ)、対戦相手の情報は全く無い、そういう状況で金を稼ぎ(或いは稼がされ)に日本にやってくる。JBCHPで招聘禁止ボクサーを見ると、例えば6試合連続KO負けとか、3試合連続初回KO負けとか、噛ませ犬タイ人達の華々しい戦歴が並んでいる。JBCの報告によると、2011年にプロボクサーライセンスを支給された者は2538人、そして試合は1762試合が行われた。決して日本人ボクサーの数量が足りないわけではない。そこから類推するだけでも、タイ人ボクサーの噛ませ犬としての役割が見えてくるだろう。この問題についても本編でもっと詳細に書こうと思ったが、JBCの報告による招聘禁止のボクサーをカウントしていて、ここ数年ではそういったタイ人噛ませ犬を連れてくる事は少なくなっているのではないかと思い、これも早い段階で書く事を取りやめた。

 

 ある時友人に、『ボクシングを打ち倒す者』というタイトルについて質問を受けた。なぜそういうタイトルにしたのか。多分彼はあまりこの連載を読んでくれては居なかったのだろうと思う。最後まで読んで頂いた方であれば、何となくでも分かってくれているのではないか。しかし、『者』として良かったのかどうかは未だ判断がつかない。
 

 日本ボクシング界を貶め、弱体化させるモノがいる。そして弱り切った後、最後にボクシングが打ち倒すモノがあるとすれば、それは何処の何モノなのだろうか。

それは一見ボクシングを愛しているように見えるのではないか。

それは一見ボクシングの為に生きているように見えるのではないか

それは何よりも日本ボクシング界の事を考えて居るように見えるのではないか。

そしてそれは、私達の中にも住んでいるのではないか。

 

  以上、半年に渡る長いお付き合いを頂き、有り難うございました。

                                   山口倫太郎