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ふと、たまには一人でどこかに行きたいなぁと、窓から遠くの空を見つめたりもする。
どこか遠くへ行きたいなぁとも思うが、近場もいいなぁと思う。
だが、川越や伊豆や鎌倉など近場のそれらしいところには魅かれない。
例えば、埼玉の狭山なんてどうだろう。狭山なんて楽勝で日帰りできる。
だが、だからこそ、そこで一泊してみたい。
小学生の時に暮らした京成線の谷津や、四年前に住んでいた西東京の田無やその近くの西武柳沢なんかもちょうどいいような気がする。
できるだけ普通の住宅地がよい。ちょっと寂れているとなおよい。
そういったところに、ふつうの人はまず旅行に行かない。行っても通り過ぎるばかりだろう。
とりあえず、そういうところに宿を取ってみる。
この際、ビジネスホテルでもなんでもいい。


昼は町を散策。
散策といっても住宅地くらいしかないだろう。だから住宅地を闊歩してみる。
そこに歴史的な寺社や仏像はない。ただただ見慣れた生活の風景しかないだろう。
ごった返す観光客もいない。観光地特有のウェルカム感もない。
これはもう弛緩した日常に溶けこんで和むしかない。
考えるだけで気持ちが落ち着いて来てよかったなぁと思いそうだ。
歩きながら自分がここに生まれたらどんな人生を送るのだろうかとか、この町内にもきっとひきこもりがいるんだろうなぁとか、こんな平和な町でも隣人トラブルがあるのだろうかとか、やはり床下に遺体を隠している人とかいるのだろうか尼崎のドラム缶事件のようなことが…みたいな物騒なことを考えるのもまた楽しそうだ。
しかし、パトロール中の文字を掲げたママチャリに乗る主婦は私に不審の目を向けるだろう。
きっと主婦はこう考えるに違いない。
「白昼堂々成人男性がなぜこの平和な住宅地に… まさか窃盗団の下見?」
おもむろに住宅の写真でも撮りだせば、主婦はますます不審の目を向けるだろう。
いつもは目に留まらない「呼びかけて みんなで作ろう 地域の目」といったような看板の標語も、やはり部外者の自分へ圧力として迫ってくるのが実感できそうだ。
そこで私は気づく。
なんてスリリングなんだ。
こんな身近に異様なスリルがあったとは…
このスリルを追求するあまり実際に家屋に侵入してしまう人もいるのではないだろうか。一般人がひょんなことから犯罪に手を染めてしまうのもわかる気がする。
日常のあちこちに黒い穴は口をあけているのだ。


夕食はどこかの居酒屋にでも入る。
どうせなら個人経営の店に入りたいが、ひとりで酒を飲んでいるのにいらない同情でもされて店主に話しかけられる鬱陶しさを考えると怯む。兄ちゃんこれうまいぞなどと食べたくもない旬のタケノコなどを薦めてきたりしそうで怯む。
そして、大抵そういう店には常連と呼ばれる種族がいて、私は何よりもこの常連が怖い。
店が狭くアットホームな雰囲気だといよいよ危険である。
奴ら常連は酔いに任せて他人というハードルを酒瓶片手にあっさり跳び越えてくると、やたら威勢のよい口調で話しかけてくるのだ。
どこから来たんだ、何しに来たんだ、家族は何人だ、結婚はしているのか、出身はどこだ、千葉か、千葉なら野球はどこファンだ、ええ? やっぱりマリーンズファンなのかオラオラ…。
標的にされるが最後、大事な大事な我が個人情報を奪取しに来るのだ。
いよいよ興が乗ってくると、この店のモツ煮込みはうまいゾと豪語しはじめ、今日は留守にしているが店主の嫁は若くて美人でとかいうどうでもいいような会話に強制参加させられ、返す言葉もなくうなずいているとやっぱり食べたくもない旬のタケノコでも食えや若いのみたいなことになり(タケノコは好きですけど)、最終的には二軒目行こうや近くにボトル入ってるスナックあるからおごるぞ兄ちゃんカラオケ好きかい??という顛末になるに違いないのだ。
そんなわけで、結局、チェーンの居酒屋とかに入ってしまったりする。
チェーンの居酒屋の刺身は冷たすぎ、唐揚げは脂っこすぎ、個人経営店のモツ煮込みや旬のタケノコを思うと悔しさが募るが、常連との戦いを回避できたことを思えば、大学生バイトとのビジネスライクな関係はなんとも居心地がよく、ここはまさか居酒屋という名の天国かバイトの君は現人神かと錯覚するだろう。
ああ、哀しき現代人。


居酒屋を出て、なんということもない商店街を歩き、宿泊先のビジネスホテルに戻って、布団をかぶると、なんでこんな所に来てしまったのだろう。そんなことをつぶやき、枕を涙で濡らすことになるかもしれない。 
だが、朝を迎え、この町と別れることを思うと、ちょっぴり悲しくなり、数日もすれば、この謎の小旅行にも大きな充実感を覚え、また近いうちにどこか行こうと手帳のスケジュールを確認しGoogleで関東近郊の手ごろな住宅地の地名をリサーチしているだろう。
そんな気がする。