日本ボクシング界について-私的論考 ①
前回までは、私的な意見に走りがちな自分を縛めるために「私」といった一人称はなるべく禁じてきた。しかし、勿論そこには「私」の判断であり、考えであり、価値基準であり、といった諸々の要素が含まれている。だからこそ「公的」な議論を進める為に「私」の存在を隠したわけだ。これからは、これまで行ってきた議論を踏まえ、さらに展開させる為に「私」を登場させたい。やや具体的に述べると、これまで行ってきた「ジムについて」「移籍について」で行った議論に自分なりの意見として、解決策・改善策を提示したい。読んでくれる方が居るわけだから、これまで行ってきた議論を前提にして「私的」にやり直すより、その都度「私」を登場させて意見させた方が読み物としては余程親切だったろう。しかしそう思いながら、自分の意見の正当性を確かめる意味合いもあって、まず「公」的視点で議論を展開させて貰って、その後、「私」的意見に移るという構成にした(だからといって公的な価値観を無視して意見を述べるつもりはない)。ある議論においては既に述べたものであり、「くどい」と思われるかもしれない。しかしその点については、再確認の意味もあるし、初回に述べたように、未熟な書き手による書き物だから勘弁して貰えれば有り難い。以下、「日本ボクシング界について-私的論考」本編に移らせて頂きます。
まず、前回までの議論で、問題点を指摘する為に幾つかの個別の実例を取り上げた。当然、そこには「それは少数の例外に過ぎないのではないか?少数の例で制度全体を問題にするのは無理があるのではないか?」という疑問・反論が起こるだろう。例えば目に余る搾取であったり、移籍で法外な移籍金を要求してきたり、引退に追い込もうとも頑として移籍を認めないとか、そういった 「少数の例外」(本当にそれが少数であるかどうかは別の議論として)をもとにして、ジム制度全体を批判するのは的外れなのではないか?という意見だ。そういった意見には、以下の2つの再反論が用意出来る。
1つは法学的な発想である。以前にも書いたが、法やルールとは、いざ問題が起こった時にそれを一定の解決に導く為のものであり、個別の権利と権利が衝突した際のガイドラインである筈だ。軽微なルール違反や慣習との兼ね合いによって数の多少が問題とされる事はあるが(つまり、歩行者の信号無視などの軽微なルール違反や、慣習と法がそぐわない場合にそれがどの程度問題にされるべきか、という問題)、そこでは基本的に起こる頻度に因らない個別の問題を一般的な問題として扱う(極端な例を言えば、「数が少ないからといって殺人を放っておいて良いか」という話しだ)。例えジム会長だろうが大プロモーターだろうが、法やルールの下では一ボクサーと同じ人格として評価されなければならない。だが、これまで「ジムについて」、「移籍について」で行ってきた議論を踏まえて、本当に彼等が同じ「人格(法の下に権利、義務の主体となる者)」として扱われていると言えるだろうか。ルールで与えられた権利関係で言えば、単に一般的な使用者と被使用者という関係を超えて従属的過ぎるだろうというのが私の意見だ。そこには「人権」の発想がある。これは少数だからといって無視されて良いものではあるまい。
もう1つはメリットとデメリットの関係についての議論だ。ある施策の良し悪しについて考える場合、それについてのメリットとデメリットが同時に考えられなければならない。メリットがあるからといって、より大きなデメリットを受け入れなければならないのであればその施策については再考されるべきだろう。そしてここでは、日本ボクシング界の発展を促す事をメリットと考え、衰退や消滅などに向かう事をデメリットと考える。1つ目の再反論で述べたように、私は日本ボクシング界におけるジム会長とボクサーの関係を、一般的な使用者と被使用者という関係で見るとあまりに従属的すぎると考えている。移籍問題で引退に追い込まれたり、過剰に搾取されたり、感情的なもつれで試合をさせて貰えないような者が少数だからといって、放って置いて良いのだろうか。表面には見え難いが、そういったボクサーは確実に居るのだ。将来のあるボクサー達が引退に追い込まれるだけではない。ジムの指導と合わずに伸び悩んでいるボクサー、不当な評価を受けて試合をさせて貰えないボクサー、或いは単にマッチメークの出来ないジムの選手達。そういった選手達に移籍などの機会を与える事は、ボクシング界全体の発展に寄与するものだと、つまりメリットのあるものだと私は確信している。それに対し、現行制度におけるボクサーの移籍などの不自由は、「ジム制度(或いは単にジム)を守る為」という理由のみでは、デメリットが大きすぎるのではないか。つまり私が言いたいのは、既得権益を持つジム経営者達の権利を守る為に、ボクシング界全体では衰退へ向かっているのではないかという事だ。こういった社会主義的な発想がジム間の競争を蔑ろにし、結果として一部の大手ジムが実権を握ったまま旧態依然の現在のボクシング界が温存されてきたのではないか。ここで私は、「移籍の自由化」と共に、「ジム制度からのプロモーター権限の分離」を訴えたい。
まず、「移籍の自由化」についての議論だ。
ここでは、「移籍について」で主に述べた移籍制度、特に「一律三年の契約だが、契約期間を超えてもジム会長の同意の下でしか移籍出来ない」という制度を問題にする。既に述べたように、このような取り決めに法的な拘束力があるとは思えない。ここで無視されるのは上にも述べた「人権」的発想であり、一般法基準が通用しないボクシング界というコミュニティーの閉鎖的環境の存在が垣間見える。「自由化」には少なくとも、契約期間を超えて縛るものの越境的権利を切り離さなければならない。勿論、契約期間を終了して後には移籍金などのジムの権利は存在しないというのが理想的であろう。ヨーロッパサッカー界では、「ボスマン判決」以降このような理想を実現したようだ(契約終了後は、選手に対してクラブの権利の一切は消滅する)。Wikipediaの記載には、このボスマン判決以降の弊害として「(選手獲得が)マネーゲーム化」し、「チーム間で選手の流動化」が起こったとある。だが、日本のボクシング界では、現在まで帝拳ジムや協栄ジムなどの大手ジムが権力を握ってきた事は事実であり、マネーゲームによってこれ以上の独占状態が進むような事態には陥るとは思えない。また選手の流動化が進んだところで、ボクシング界ではサッカーのクラブチーム制度程の地域密着型の経営は成立していない事から、デメリットは少ないのではないか。この時問題として残るのは、「選手育成の労力を如何に評価するべきか」という問題である。しかし、ある業界のある企業に就職し、そこで上司(会社)の指導を受けて一人前に成長したある社員が居たとして、彼の他企業への転職を如何に考えるか。内心は色々あるのだろうが、そこで「同業界への転職禁止」とするのは、一企業の独占的権限としては強すぎるだろうし、業界全体として見るにはあまりにデメリットが大きいだろう。他の問題としては、選手育成には、宣伝などの「売り出し」を行うという側面もある。芸能人の事務所移籍などについてもよく言われるが、売り出しに多額の投資をしたのに、いざ売れると給料が安いと移籍されたのでは事務所としてはたまらないだろう。同じ事はボクシング界でも考えられる。これについても、マネージャーやプロモーターという権限が分離しているアメリカのようなシステムは現実的と言えるのではないか。プロモーターは試合を売る為にファンに選手を売り込まなければならず、そういった労力をジムが過度に払う必要はない。日本に望まれるのは、こういった独立的なシステムなのではないか(この問題も後段で述べる「ジム制度からのプロモーター権限の分離」の問題とリンクしている)。
上記と共に必要だと思うのが「ジム制度からのプロモーター権限の分離」である。「ジムについて」でも「移籍について」でも、ジム会長の強権を問題にしてきた。選手の移籍という権利の強化と共に、ジム会長から一部権限を奪わなければ両者はとても対等と言える立場に立つ事は無いだろう。これは個々のジムを批判しているのではなく、あくまでジム制度を批判したものである。いざ対立が起こった時に、ジム会長がジム内部で一方的に権力を行使できるジム制度のシステムを変えていかない事には未来は開けないだろう。現在のジム経営において、興業を打っても儲からない事、そしてジム間の興業格差が選手を育てる上で非常に大きな問題である事は既に述べた。であるならば、この「プロモーター権限の分離」という施策は多くのジムにも大いにメリットがあり、現在のデメリットを軽減出来るものであると考える。帝拳ジムの本田元会長は会長職を退き、プロモーターに廻った。正に適材適所といった風ではないか。「ジム制度からのプロモーター権限の分離」が達成され、その方面に長けたものが試合、選手を売り出してプロモーターを務める役割を果たした時こそ、ボクシングジムが選手育成機関としての機能を最大限に果たす時だろう。同時に、多くが元プロボクサーであるジム会長の職は現在と同様に確保され、その適性が最大限に発揮される。その時、ジム制度は新たな段階に進むだろう。協会は、積極的な新規参入プロモーターに対して協力・援助を行うべきだ。高額な加盟料は、こういった事にこそ使われるべきだろう。勿論デメリットもある。ジムは、安易なマッチメークによる所謂「温室栽培」と言われるような選手育成がやりにくくなる。プロモーターはチケットを売らなければならない為、基本的には好カードの実現を望むだろう。しかしこれはジムにとってはマイナスかもしれないが、ファンは喜ぶ筈だ。
今回は「移籍の自由化」、「ジム制度からのプロモーター権限の分離」という二つの提案を行った。前者における議論は「移籍について」で移籍に成功した三例を挙げて行ったが、それらの困難を思えば、実際には移籍に失敗して引退扱いされた選手も多数居る事だろう。また、後者については日本ボクシング界の伝統的ビジネス形態を根幹から変える事となる。それらを考慮に入れると、反対する者は少なくないのではないか。これらは少し先の議論であり、外圧でも加わらない限り現状での実現は困難なのではないか。もっと現実的な提案としては、ジム間の垣根を越えたボクサー達の労働組合、選手会が提案出来る。ルールを守ってフェアなボクシングビジネスを実現する為の業界の監視機関である筈のJBCが、業界と奇妙な連係プレイを見せている事は今までの議論の中に垣間見えた事だろう。必要なのは、彼等に対抗出来る力のあるものが立ち上がる事だ。しかし、ボクサー一人一人の力などたかが知れている。だが彼等が同盟を組めばどうなるか。一般のボクサーに加え、世界チャンピオンなどの有名ボクサーが加わり、ストライキや、一般社会に意見表明を行うなどすれば、それは力を持ち、より多くの問題に立ち向かう事の出来る団体が出来る筈だ。ここで問題なのは、ボクサー達の問題意識とやる気の問題だ。
この「日本ボクシング界について-私的論考」で行いたい議論はあと1,2回続くが、全てこの連載を始める前から頭にあったものだ。色々と考えたが、細かい点では修正が必要と思いつつも、結局大局の部分では考えは変わらなかった。
次回は、「移籍について」でも述べたそして業界とJBCの未分離について、実例を挙げて批判したいと思う。次回のアップについても、一月程の猶予を頂きたい。
以上、宜敷お願いします。