8月23日

無職27日目。9時半起床。妻は病院へ定期健診に行くとかで、朝はゆっくりしていた。なぜか枝豆を茹でてくれていたので、妙な気分になりながら、朝ごはんがわりに枝豆を食べ、冷えたコーン茶を飲んだ。
午後から外出。品川の心療内科、近所の皮膚科を回って夕方帰宅。寝室で涼んでいるうちに眠ってしまい、帰宅した妻に起こされて、洗濯物を畳んだ。
さて、わたしが無職になってから、一ヶ月が過ぎようとしている。この間、精神状態はあきらかに健やかになってきており、仕事を辞めたことが良かったのだと思わずにはいられない。しかし、無職である。無職は気持ちいいが、しかし、自己管理能力が問われる一面もある。いや、一面どころではない!全方面から、常に問われていると言っていい。寝ていようと思えば、いつまでも寝ていられる状況下で、自らを律して早寝早起きすることのむつかしさは絶筆に尽くしがたい。し かし、やらねばならぬ。かのように無職というのももなかなか大変なのだ、と常にアピールしていきたいきょうこの頃である。
 


8月24日

無職28日目。9時半起床。
その後、涼しい寝室で寝たり起きたりを繰り返してしまう。気づくと18時orz  
いったい何をやってるんだろうと思わずにはいられない。
夜、荒川洋治『文学の門』(みすず書房)読了。
荒川さんの文章には一時期首ったけになったが、最近はその熱もぐんと冷めてきて、すこし切ない気持ちがする。
やる気がなかなか起きないのは困りものだ。もう少し爽やかにいろいろなことをこなしていきたいのだが、遊ぶ元気もない。今までの経過を見ても、回復するのには時間がかかるから、あせりは禁物だが、しかしのんびりばかりしているのもどんなものかと思わずにはいられない。じつに歯がゆい毎日を過ごしております。
 


8月25日

無職29日目。9時半起床。
その後、涼しい寝室で寝たり起きたりを繰り返してしまう。
昨日と一緒であるorz

午後6時から新宿歌舞伎町にて、わたくしが主宰する新宿文藝シンジケート読書会。出席者10名の盛況。課題図書は萱野稔人『ナショナリズムは悪なのか』(NHK出版新書)。推薦者の荒木さんが力作のレジュメを作ってきてくださり議論も白熱して良かった。そのまま、アルプスに流れて飲食する者8名。11時過ぎに新宿駅で解散し、帰宅。むろん妻はすでに寝ていた。頭のおかしい友人たちに囲まれ、楽しく幸せな一夜を過ごせて良かった。
 


8月26日

無職30日目
妻とふたりで、涼しい寝室で寝たり起きたりを繰り返してしまう。
一日中であるorz
したがって本日記すべきこと無し。
 


8月27日

無職31日目。7時半頃一度妻に起こされるが、涼しい寝室で寝たり起きたりを繰り返してしまう。気づくと午後5時半orz
面白い夢をたくさん見たが、それで充実した一日になるかというと、違う。
わが心はむなしさでいっぱいである。
夜、荒川洋治『読むので思う』(幻戯書房)読了。そろそろ図書館に行かねばと思っていると、勤労する我が偉大なる妻が帰宅、「きょうも一日中寝たり起きたりしていた」と告げると激怒&殴打される。当然の報いである。
 


8月28日

無職32日目
目覚ましをかけたにもかかわらず、涼しい寝室で寝たり起きたりを繰り返してしまう。気づくと午後4時orz
実家から自宅にかえってきてだいぶ経つが、こんな調子ではいかんと思いつつも、寝たり起きたりを繰り返してしまう。止められない、止まらない、寝たり起きたり、起きたり寝たり…。
まるで何かの呪術にはまっているみたいである。いかんともしがたい駄目人間ぶりに、溜め息が絶えない。このやる気の無さがおそらくうつ病の一番恐ろしいところなのだと深く実感する。

単に憂鬱な時(死にたい時)は、背を曲げて、しびれるような憂鬱が通り過ぎるまで、なんとかやり過ごせばいい。しかし、やる気が出ないというのは、実に中途半端な具合で辛い。その辛さも骨折や打撲ではなく、内臓がアトピーに冒されて、かゆいのだがそれがうまく言語化できず、歯がゆく、そのうえ長く長く続くしぶとい苦しみなのだ。生きることの辛さそのものを、生でかじり続けるような、とても正気ではいられないショッキ ングな体験である。

明日以降の自分に希望が持てなければ、人は生きることを諦めるだろう。
しかし諦めたとて、好きな瞬間に人生は終わらず、間延びした苦痛を湛えて、そのあともずっと続くのである。半殺しにされ続ける活魚のような身振りで、わたしは跳ね回り続けるのである。

滑稽なだけでなく、うすらさびしい感じさえ漂ってくる。長い、溜め息。

人生に向いている人と向いていない人とがいるとすれば、わたしは明らかに後者に属するだろう。かといって、自らの命を絶つわけにはいかないのだ。辛い辛い日々をなんとか誤魔化し、誤魔化し乗り切っていくほかないのである。

(この日記を書いたあと、妻と話し合いをし、また二週間ほど実家に帰ることになった)