2011年になって、そろそろ貯金がなくなってきた。
2月の半ばごろにパリ中心地の某高級日本食料理店でウェイトレスの仕事をはじめた。

ところが、うまくやろうと思えば思うほどうまくいかない。料理と人が行き来する中で頭の中は真っ白。いろんな失敗をやらかし、オーナーにもこっぴどく注意されるのだが、それによって改善されるどころか、益々おかしなことをするようになる。結局1ヶ月でやめたが、その間仕事の疲れで予備校にも碌に行っていなかった。3月、久しぶりに顔を出すと、みんな志望校を決めたり、書類準備をする時期になっていた。


働いていても行き先の学校が決まらなければ本末転倒。学生としてフランスに滞在することもできないという当たり前のことに気がつき我にかえった私は、受験のための書類作成を始める。すでに学士の資格をもっていればいくつかの美大では2年目以降からの編入が可能になる。ただほとんどの学校では美術系専門の学士でなければ1年目からの入試をうけることになる。また入学時の年齢制限がある学校だと、20代半ばまでとしているところが多く、例えばパリのボザールは、私には受験資格がない。最終的に願書を提出したのは、リヨン、ニース、ペルピニャン、セルジーだった。

最初に受験したのはリヨンの2年次編入試験。

5人ほどいる試験官が長テーブルの前に座り、色々と意地悪な質問をしてくる。
私は作品を取り出して見せるのが精一杯で、説明はほとんどできなかった。後で他の受験者に聞いたが、リヨンの試験は意地悪なので有名らしい。わざとこちらの精神安定を乱すのだそう。数週間後に合否通知が家へ届いたが、不合格。手紙のあて先が私でなくラテン系の女の子の名前になっていた…。

予備校ではひたすら面接対策をした。とくに一度も作品を見せたことのない講師に発表することで、見せる作品の順序や、自分の説明が分かってもらえるのかどうかを計り作戦を練る、ということを繰り返した。本番の発表時間は10分から15分位。試験官からも質問されることを考えれば、自分がそれまでしてきたことの全体をなるべく短時間で掴んでもらう必要がある。

次の受験先はパリ郊外・セルジーだった。セルジーでは2度試験が実施されるのだが、週の前半に1次試験を通過した者だけ、金曜日に2次試験を受験することになる。2日とも作品発表をするのだが、1次は落とすため、2次は通った生徒の作品をきちんと見るためのようだ。
1次試験は4月半ばの某日火曜日だった。最初に筆記試験、その後面接で午前中に終了する。受験者と担当試験官はいくつかのグループに分けられ、グループごとに2つの面接会場を使う。1つの部屋で発表をしている間に、もう1つの部屋で次の受験者が発表の準備をすることができるようになっている。
グループの最後だった私が発表を終えたのはすでに昼時。作品を纏めて部屋を出ると、試験官の教授はさっさと鍵をしめ、お昼を食べに出ていった。そのうちの1人の教授-今は亡くなってしまっているのだが-が振り返り、「じゃ金曜日にね」と言い残して去っていった。え、オッケーってこと?

同時期にアルバイトも再度探し始めていた。
一時期語学学校に一緒に通っていた日本人女性Sさんが某飲食店で働いていて、もうすぐ辞めるので興味があれば紹介するよ、と言われていたことを思い出し、彼女に連絡した。
数日して返事があり、店長が是非面接をしたいとのこと。面接日はちょうどセルジー校1次試験の受験前日だった。タイミングが悪いなと思いつつも、断らずに行くことにした。翌日の試験が終わると、留守番電話に店長から連絡があった。次の日から2日間来てほしいという。

初出勤の水曜日、Sさんと一緒に入り仕事を教わった。彼女にとってはその日が最終勤務日だった。翌日の木曜日、セルジーのサイトで1次試験合格者が発表されていたので、自宅で自分の名前を確認し、「ヤッパリあってよかった!」予備校へ出向く。しかしアルバイトの時間が迫っていたので2次試験の面接準備をする間もなく職場へ。前日にひき続き仕事を覚える。
そして金曜日の2次試験。私はまたもやグループの最後に作品発表の順番が回っていた。1次試験の時よりも広い部屋で、妙なプレッシャーを加える教授もおらず、和やかな雰囲気の中落ち着いて発表することができた。

受験から2週間後、セルジーからの合格通知が届いた。
オープンキャンパスに来たときに良いなと思ったこと、入学してもアルバイト先を変えずに働き続けられることから、この学校に入学することに決めた。まだ受験していない地方の学校もあったが、その時点で受験を終えることにした。学校の近くに住むことにし、すぐにアパートやルームシェアの広告を探し始めた。1週間後、安い家賃で間貸しをしているフランス人女性の家が見つかり、夏に引っ越しすることが決まった。


今、セルジーに在校して3年目になる。
元々はパリ、その周辺に住むつもりはあまりなかったのだが、結局なんだかんだでここにいる。あれからたくさんの出会いもあって、ここに来られて本当に良かったと、今は思っている。思い通りにいくことってあまりない、でも悪あがきでもあがいていれば思いがけないことは起きるのかもしれない。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。