

画像は仁義なき広島の左翼か右翼かよわからないが、とにかくは何かしらの主張を威圧的に主張するお車御一行様。
夏空のもと、おお出た、仁義なき広島じゃ、とか思ったがしかし、よくよく考えてみると仁義とはなんじゃらほいと思った。
ので調べてみた。以下goo辞書より「仁義」の意味参照。
1 仁と義。儒教道徳の根本理念。
2 道徳上守るべき筋道。「—にもとる行為」「—を重んじる」
3 他人に対して欠かせない礼儀上の務め。義理。
4 《「辞宜(じんぎ)」からか》ばくち打ち・香具師(やし)などの仲間の道徳・おきて。また、その仲間内で行われる初対面のあいさつ
ははあ、なるほど。となると、仁義なきとは、無法者とかいう意味になるわけですね。となると、しつこく言うが先日の吉野家の小人は仁義なきお方であり、東電の幹部とかも仁義なく、小沢とか野田とかも仁義なく、って政治に関することはよく知らんけど、つまるところこのニッポンは一億総仁義なきなのではないか。いや、本当は一億総仁義なき戦いと、こう行きたい気もするのだが、いかんせん今の時代は何が敵で何が味方か何が正しく何が間違っているのか、さっぱりわけがわからないので、そう、戦いというものが成立しないのである。なので現代社会は一応総仁義なき蒙昧と、こういうことになる、いや、勝手にそうした。ちなみに蒙昧は、
「暗いこと。転じて、知識が不十分で道理にくらいこと。また、そのさま。愚昧。「—な大衆」「無知—(goo辞書より)」
というわけで、現代社会はもう終わりだ。
夢も希望もあったものではない。あるのはただ混沌だ。宇宙(ほし)へ帰ろう……。
と思ったら閣下にがん検診を受けろと叱咤されてしまった。
このポスター、インパクトとともにさびれた温泉街の指名手配犯のポスターに通ずる物悲しい空気感がすごい。それにしても閣下、広島県民よなんてローカルな呼びかけをしていただいて恐縮です。
それにしても白い顔だと思ったら、墓参りのこともあって骨のことを思い出した、
というこじつけで話を展開させる。
そう、じいさんが死んだのは何年前かの8月24日で、とても暑い日であった。中略。葬式も火葬も終わり夜も更け、結局親族一同で散々飲み食いをして、皆が寝静まったあと、ぼくはひとりリビングで酒を飲んでいた。
単なる興味から、ぼくは荼毘に付されたじいさんの骨の一部をもらっていたので、酔いどれながら、骨が収まった小さな骨壺を開けてみた。ざらざらとした、情緒もくそもないいかにもカルシウムっぽい薄灰色っぽい硬質な破片が詰まっていた。
ひとかけら、つまんで眺めてみると、なんだか死んだのだなあという実感がこみ上げてきて、わんわん泣けてきた。
だからというわけではないが、ぼくは泣きながらちょっとかじってみた。
というか食べてみた。
がーりがーり、がりがり、がーりがーり。
……君、とつけたいところではあるが、一応シリアスなお話をしているところなので自粛しておく。
貝の砂抜きがちゃんとできていない時にがりっとなる砂よりも、もっときめの細かい砂を食べている感じだった。
それはともかく、遺骨を食べるという発想はぼくのオリジナルではない。
リリーフランキーの東京タワーのラストで、主人公が母親の骨を食うのである。
だからぼくは模倣である。というかその場面を思い出して食ってみたまでである。
そんなわけで骨を食うのは東京タワー、と思っていたら違った。
もっと昔にもっとすごい、というか愛おしく美しい 「骨食い」がいた。
「灰屋紹益と吉野太夫」という話である。
灰屋紹益(1607〜1691)は、南北朝時代から紺を染めるための"灰"を扱う豪商で、井原西鶴の「好色一代男」の主人公世之介のモデルとも言われているそうである。
この紹益の妻となったのが、当代きっての名妓と言われた、二代目吉野太夫という女。吉野太夫は、とびきり美しいうえに和歌などにも優れた才女で、今でいうところのスーパーミラクル高級ホステス嬢といったところで、きっと一晩100万円とか取ってしまうすごい女なのであった。
でまあとにかく色恋沙汰あって、灰屋紹益は吉野太夫を身請けする。
身請けとは「〜芸娼妓などの身の代金(前借り金)を支払い、約束の年季があけるまえに稼業をやめさせることである(ウィキペディア参照)」。
そこまではよかったのだが、この二人の幸せは、吉野太夫の死を持って終わりを告げる。身請けされて12年ほどたった38歳の時のことであった。紹益にとっては、身を引き裂かれるほどの悲しみだった、らしい。
で、灰屋紹益は昔の人なので例によって以下のような歌を詠んだりしたわけである。
「都をば 花なき里に なしにけり 吉野は死出の 山にうつして」
意味としては、吉野太夫が死んでしまったので、都には花(吉野太夫のこと)が無くなってしまった、まあつまるところ悲しくてたまらないもうおれに人生真っ暗だ、といったところでしょう。
で、問題はその後。灰屋紹益は、吉野太夫を荼毘に付した後、その遺灰を壺の中に残らず納めた。そしてその遺灰を毎日少しずつ酒盃の中に入れて、吉野太夫を偲びながら全部飲んでしまったのだそうなのである。
そう、愛する人の骨を全部食べちゃったのである。
まあ、骨を食べてしまう気持ちがわからなくもない、というかむしろわかる。
とにかくは骨を食べた灰屋紹益は、吉野太夫の魂を身体に取り込んだからか、38歳で死んだ吉野太夫に対して84歳まで生きながらえたそうである。
昔、「骨まで愛して」という歌があったが、まあ確かに、愛とはそういうことだろうとは思う。骨を食べることの是非はさておき、思うだけの愛は愛ではない。愛は行為の中にしか存在しないのだ。