移籍について②

JBC(日本ボクシングコミッション)は、業界団体である日本プロボクシング協会の推戴によって生まれたプロボクシング競技を統轄する機関である。JBCはボクシングの競技としての公平性・安全性を確保する為に、試合の管理、ランキングの作成、選手やジムの管理・指導も行っており、その「総則」には、正直なボクシングビジネスの実現を目指すという内容が書かれている(正しい文言はJBCHPの記載内容を確認して欲しい)。

移籍したいボクサーは大勢居る。実際に移籍してジムを移ったボクサーもまた数多い。そしてそれがスムーズにいった例も、そうはいかなかった例もあるだろう。そういった例の中から、一般のファンの耳に届く移籍の話題はごく少数である。それを一般論として語るには問題があるかもしれない。しかし問題にされるべきは「いざ問題が起こった時にどうするべきか」という事ではないだろうか。以下に、実際に問題になった例を三つ紹介する。

1,まずは当時現役世界チャンピオンだったあるボクサーの例だ。彼は、所属ジムで指導を受けていたトレーナーのジムからの離脱、新ジム設立に伴い移籍を求めた。この件について多くは明らかになっていないが、移籍に成功した当のチャンピオンは「一時は引退も考えた」と述べたそうだ。この件は結局無償での移籍に成功しているようだが、これは幾つかの意味で世界チャンピオンの影響力があってこその事だろう。

 2,次は日本人重量級ホープとして世界チャンピオン以上にメディアに露出したあるボクサーの例だ。この例に関しては、ウィキペディアも含め信用性が高いと思われるweb上の記事を参考にしながら経緯を述べたい。このボクサーは日本では対戦相手にも事欠く階級であった為、日本とアメリカを行き来して試合経験を積んだ。そして、あるマイナータイトルの世界タイトルを獲得する。マイナータイトルとはいえ、メジャータイトルへの足がかりとなるかもしれない。しかし、このタイトルはJBCが未公認の為にタイトルの返上を求めた。本人はこれを拒否したが、所属ジムが本人の了承を得ずにタイトルを返上してしまう。この事が切欠でボクサーはジムと袂を分かち、ジムに絶縁状、JBCに引退届を提出し、米国に拠点を移しカリフォルニア州のライセンスを取得する。これに対しJBCは契約をたてにカリフォルニア州のアスレチックコミッション(アマ・プロのボクシング、同じくアマ・プロのキックボクシング、さらにプロのMMAの管理も行っている)にボクサーの試合の承認しないように要請するが、カリフォルニア州コミッションは「契約の自動更新は無効」と判断してボクサーに試合出場の権利を認めた。そしてJBCは、ルールを無視したボクサーの日本ボクシング界からの追放を決定した。

3,更にもう一つの例を挙げたい。後の世界挑戦者A選手とそのジムメイト、B選手、C選手の移籍の顛末が、あるボクシング専門誌、関係者のブログ記事で報告された。この件に関しては、選手側、ジム側の双方で食い違う部分が多い事を念頭に入れて欲しい。

まず、A選手がある国内有力選手に勝った後、ジムのマッチメーク力に関する選手の不満が顕在化する。そしてそこで、ジム会長が一律三年のJBCルールに反する選手との五年契約、それから一切の怪我、或いは事故に対してジム側が責任を負わないという旨が記載された「誓約書」にサインを求める。誓約書というのは契約書と違って、基本的には私的なもの、法的拘束力の低いものとみなされるだろう。後に双方で行われた議論においてジム側の言い分と選手側の言い分は異なる。勿論選手側はそれを決定力を持つものとして受け取り、ジム側はそれを契約や法律に劣る下位のものとして考えて居たという。しかし選手側としては、「五年契約」、「一切の怪我、或いは事故に対してジム側が責任を負わない」などの記載のあるものに簡単にサイン出来る道理は無いだろう。そもそも信頼関係の破綻した間柄である。こうした対応に不満を持ったA選手と同僚のB選手、C選手はジムに移籍を申し出るが、ジム側は素直には応じない。ジム会長はA選手の移籍費用として1000万円という高額な移籍金を要求するが、後にジム側の第三者が語る所によるとこれは「移籍金が欲しくて言っているのではなく、ジムに来なくなった事、他ジムで練習をしていた事などに対する謝罪が先」で「筋が通らない」という理由に依るものだそうだ。仮にそのような筋論を認めたとしても、A選手が問題にしたのはマッチメークの問題と「誓約書」のような取り決めに対しての不信についてである。A選手は「誓約書」にサインすれば「殺される」と思ったそうだ。それは同僚B選手がアメリカで試合をした際の事が頭にあったからだという。B選手は試合の二週間前に腰痛の為に試合のキャンセルをした。しかしキャンセル料が惜しかったのか、試合前日になってジム会長は出場を無理強いしてきた。結局B選手は一日で7キロの減量を強いられてKO負けした。この7キロという数字にはジム側の第三者から「7ポンドではないのか。7キロは余りにも無茶な話しだし、アメリカの秤はポンド式になっている」という反論が出ているが、B選手は慣れないポンド式ではなく、キロ式の体重計を持ち込んでいたそうだ。また、常日頃から体重を管理しているプロボクサーが1キロと1ポンド(453グラム)を間違うというのはとても現実的な話しとは思えない。また、A選手もアメリカで試合をしているが、渡米の際の費用は実費でA選手自身が払っていたそうだ(勿論ファイトマネーからは足が出るだろう)。

このA選手らの移籍事件は業界関係者二名がボクサー側につくような形で話しを展開していった。そして更に、ボクサー側の立てた弁護士がJBCに対して「法的措置も辞さず」の構えを見せた為にJBCが介入し、結果的には移籍は成立した。移籍金などは明らかにされていないと思うが、両者ともに了解を得る程度の金額で、結果として移籍は成立した。




 以上、三例を紹介した。「1」で当時の現役世界チャンピオンの例を出したが、この件は一般メディアにも報道される名チャンピオンが主役だった事がスムーズな解決に至った原因だろう。また、プロモートにボクシング界の大立て者が関わっていた事も大きいのではないか。しかし移籍問題が、現役世界チャンピオンに引退を考えさせる程の力がある事もまた事実と言えるだろう。

次に「2」の例であるが、ボクサーが渡米したとは言え欠席裁判で追放処分を下した事はJBCが公平を欠いている事の証と言えるのではないか。またカリフォルニア州コミッションが出したといわれる「自動更新は無効」という裁定を基準とするならば、それは「ボクサーを縛ったもの」の効力が、ジム-ボクサー間や、ジム同士の間だけで発揮されるるのではなく、その存在をJBCが積極的に了承しているという証明になるだろう。

そして「3」の例についてだが、このA選手・並びにB選手・C選手の件は、代表のA選手でさえも当時は単なる元日本ランカーだった。業界関係者二名が問題に積極的に関わらなければこの問題はファンを巻き込む大きな話題とはならなかっただろう。それをせずに弁護士を雇って移籍をジムに認めさせたとしても、結局は「業界の秩序を破った」事でジム関係者からつまはじきにされた可能性もある。この「3」の例においては、JBCも事の解決に一役買っている事は事実と言えるのだろう。しかし、そもそもルール設定自体がボクサーよりも業界ありきの姿を示している事は変わらない事実だ。またジム側は、第三者を通して事実関係に対する見解を様々に語っており、表面に顕れる事の無かった感情的な部分については彼等なりの言い分があった事も記しておきたい。コミュニケーション不足による両者の行き違いは、事実関係とは異なる部分で存在したのだろう。

この件では、「A選手」が、受け入れ先のジムの移籍完了後、日本・東洋を経て世界挑戦まで行う名選手に成長した事は明るい話題である。      


前回、「契約期間を超えてボクサーを縛ったものは一体何なのか」という課題を設定し、「業界全体、並びにJBCなどの未分離、独立性の低い談合体質について議論しなければならないと思う」と述べた。移籍問題が議論の俎上になる時、ジム側の意見として必ず出るのが「業界の秩序が崩壊する」、或いは「乱れる」といったものである。しかし、法やルールというのは問題を一定の解決へと導くものの筈だ。そして、ボクシング界における「一定の解決」が、「業界の秩序」にばかり目を向けてボクサー個人の権利が蔑ろにされるものであるのなら、それは即ちボクシング界内部の旧態依然とした体質を如実に表すものと言えるだろう。その上で、ジムの指導・マッチメーク力をどのように評価するべきであるか、という事が移籍問題の本質であろう。それから日本ボクシング界の移籍の不自由さを認める為にもう一つ書いておきたい。それは前座選手についてだ。欧米では、四回戦など、一般の前座選手は基本的に一試合のみの契約を試合毎に行うのが普通だろう。通常はキャリアも力も無く、大金を稼ぐ事など出来る筈もない四回戦に移籍金等が動く筈がない。しかし日本には、練習生でさえ縛ろうとするジムもある。


以上で「移籍について」の議論はここまでで留めておく。
 「ジムについて①~③」でも「移籍について①~②」でも、もっと書きたい事はあった。しかし本論の目的は、個別の例を用いて誰かを悪者にして悦に浸る事にあるのではなく、あくまでボクシング界の制度的な問題に焦点を当てて議論をする事にあった。その為、個別の問題における主観的な議論に走りがちな力量不足の自分を戒める為に「私」などという一人称はなるべく避け(「本論」などという言葉は数度使ったが)、自分の意見は最低限に留めた。次回からは、「私」(或いは「僕」かもしれないが)を前面に出し、今まで行ってきた議論を踏み台にしながら「こうすれば良い」などという私見を前面に出したい。また、「私」を登場させるわけだから、個別の例における対象者の名前を出しても良いかもしれないと思っている。

次回は個人的な事情で一ヶ月程度の猶予を頂きます。
 以上、宜敷お願いします。