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浜岡原子力館の展望台にて。右手前から奥に向かって1,2号基、3-5号基(1,2号基は廃炉措置中、3-5号基も現在はすべて運転を停止している)。

◆ 7月末の某火曜日。梅雨明けから続く濃密な暑さで人々の知性がメルトダウンするのを尻目に東京を離れ、静岡県御前崎市を訪れた。中部電力が保持する唯一の原子力施設である浜岡発電所を見学する為だ。(撮影してきた記録写真の一覧) 


「福島」以後の「浜岡」 
 

◆ 正確に言えば、発電所の構内に立ち入ってあれやこれやを見たわけではなかった。
2001年9月にアメリカで大規模なテロが起きて以来、それまでわりと大らかだった日本の原発でも警備体制が大幅に強化され、いまや個人の気ままな見学など認められなくなってしまったからだ。事前に申請をすれば団体見学は可能なのだが、今回はそこまでする気にならなかった。

◆ 仕方がないので、敷地内に併設されている原子力発電技術の徹底的なPR施設であるところの「浜岡原子力館」を見学し、そのあとは数キロ離れた御前崎灯台に登って丸い太平洋を眺め、来るべき大津波のイメージを脳内に描いてみたりした。
本当は砂丘まで降りて、例の新設防波壁工事の進捗具合を見てみたかったのだが、残念ながら、時間に余裕がなかった。その日は鈍行で西日本へと向かう旅程の初日で、夜までに名古屋へ辿りつかなければならなかったからだ。

◆ 御前崎市にはJRや在来線の駅が存在しないので、海辺の原発まで辿り着くには、バスを乗り継ぐか自家用車を使う必要があった。静岡市に住む複数の友人知人にアクセスの容易さについて尋ねると、みんな「あそこは陸の孤島みたいなものだから」「自主運行のバスで行くなんて考えられない」と笑っていた。

◆ 幸い、市内に住む主婦のYさんが「なんなら浜岡まで車出しますよ。静岡に住んでるんだから、私もいっぺん見ておいた方がいいかなと思うし」と申し出てくれたので、午前中に彼女と静岡駅前のロータリーで落ち合い、原発まで向かったのだった。

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浜岡原子力館のZONE D「原子力発電のしくみ」に設置された実物大の3号炉。複雑に入り組んだ圧力容器や格納容器の配管構造がひと目で把握できる。


◆ 前回の「ATLAS」を書いていた7月の中頃は、毎週金曜日に行われる首相官邸前の反原発デモが、暴走する核反応の如くにヒートアップしていた。あれから一ヶ月が経過しているが、デモはまだまだ続いている。もはや単なるデモではなく、広い意味で「反政府」「一揆」になっている。報道によれば、増税法案の採決をめぐる政治的綱引きで息も絶え絶えの野田首相が、近日中にも代表者の一部と会談する見通しだという。

◆ 拡大したデモで直接の焦点になったのは関西電力の大飯原発だが、当然のことながら反対はそこに留まらず、全国で再稼働に備えるすべての原子炉と発電所が「閉鎖ー廃炉」を希望する「直訴」の対象となっている。

◆ 昨年の5月に、菅直人前首相が行った「超法規的」「要請」によって稼働中の全基が停止した浜岡原発は、その中でもひときわ切迫度と重要度が高いものの1つとされている。東海地震の予想震源域ど真ん中に建ち、低い海抜、地盤の脆弱性、敷地内に存在する断層の活断層疑惑、耐震性への懸念など、福島第一原発の事故が起こる遥か以前から数々の危険性を指摘され続けている。
近年は下請け業者による検査データの改ざん発覚(これはかつて東電でも大問題になったが)や施工偽装の内部告発まで飛び出す曰くつきの問題発電所だ。


「 ドグマ的パフォーマンス 」或いは「空想」としての原発事故


◆ 2011年の3月11日より前、およそ原子力になどまったく何の興味もない大部分の日本国民にとっては、「日本のゲンパツと言えば浜岡、大地震と言えば東海地震」だった。
その2つが、「原発」「地震」「破滅的な危険」を象徴するものだった(実際には美浜原発の復水配管破裂による死亡事故など、他の原発の方がより大きなトラブルを起こしているのだが)。

◆ なかば終末論にも近い勢いで語られてきたそれらの「破滅」「危険」は、けれど、いかに緻密に議論されていようとも、あの3月以前はある種の空想性を伴ったもの、どこか現実感を欠いたものだったように思う。

◆ 大地震や大津波による原子炉の破壊、撒き散らされる放射性物質がもたらす大量死の恐怖を声高に叫ぶ者も、素人の妄想だと嘲笑っていた者も、果たしてどこまで「本気」だったのか?数字上の想定では、事故が起き得る、そして防ぎ得る事象だと理解してはいても、そんなことが「本当に」あり得ると、「本気で」考えていたのだろうか?
「それ」は政治的なドグマによる恒例行事、反体制の儀式やパフォーマンスに過ぎないのだと、「お互いが」暗黙裡に了解済みだったのではないか?

◆ 確かに、新潟の沖合で地震があったときは想定を遥かに上回る地震動によって柏崎原発で変圧器に火災が起き、ごく微量の放射性物質が環境中へ漏れ出したりもした。
しかし原子炉そのものは全て緊急停止に成功し、手順通りに冷却された。重要機器への大きな損傷もほぼ認められなかった。むしろIAEAが報告するように「安全余裕度」が証明された形になったと主張する技術者も少なくなかった。

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ZONE D「原子力発電のしくみ」に設置された実物大の中央操作室モデル。昔の映画セットのような古めかしさも感じる。

◆ これまで、炉心溶融を含む大事故を起こしたウィンズケール、スリーマイル、チェルノブイリ、それらに準じる事態へと至った旧東西のいくつかの発電所や兵器工場は、いずれも設備の故障、老朽化、オペレーション・ミスによって、あるいは二つ以上が重なった結果としてトラブルが引き起こされている。

◆ 津波や地震で致命的に施設が破壊されたケースは存在しなかったし、しそうになったことも(ほぼ)なかった。いつのまにか五十数基にまで増えた日本列島の原子炉は、危ない危ないという訴えを受け続けながら、いずれも爆発する気配などまるで感じさせず、日々安定して核分裂を起こし続けてきた…。

◆ そんな状況下で、福島での大惨事をどこまで「本気」「予見」できたのか?
発電所を呑み込む巨大な津波と天高く原子炉建屋を吹き飛ばす爆風というあの「非現実的な光景」は、一瞬にしてこれまでの「空想」、あるいは安全神話という「虚構」を粉みじんに破壊し、「現実」を剥き出しにしたが、それでもいま、フィルタをかけたみたいにきれいなグラデーションを見せる真夏の青空と凪いだ遠州灘の姿は、「現実」を曖昧にしてしまう…。

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御前崎灯台から臨む遠州灘。東海地震がくれば、眼下の道路はすべて水没するだろう。


「完璧」な、「万全」の「安全対策」…


◆ Yさんがとてもアヴァンギャルドな操縦をするルノーのカングー揺られて向かった浜岡原発は、のどかな丘と海の田舎町に、突如として、当たり前に存在するものみたいに姿を現す。周囲には民家や関連企業の工場、飲食店が点在し、僻地にそびえる核の神殿という佇まいからは程遠い。高速のインターで降りてから通った牧之原市、そして御前崎市内の各所でぴたりと動きを停める発電用風車の方がよほどモニュメンタルであり、一種軍事兵器のような偉容さをたたえていた。

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唐突に視界に入る風車(もちろん中部電力製)。お茶畑や丘陵に屹立するいくつもの風車はどこかエヴァンゲリオンの「使徒」のようでもあり、本当に異様/偉容だった。ある意味、原発よりもずっと。


◆ 平日の、しかも午前中ということもあって、館内にKさんとぼく以外の見学者ほとんどいなかった。わずかながら近隣の母親たちが広々としたレクリエーション設備で子供たちを遊ばせているだけだった。

◆ 手を変え品を変え、原子力発電の必要性と優位性を力強くアッピールする展示を見物していると、前方から暑苦しい防災服に身を包んだ坊主頭の集団が近づいてくる。かれらは、百貨店のエレベーター・ガールみたいな格好をした完璧メイクの職員女性たちに誘導されている。どうやら、静岡県内各地の消防団員が防波壁工事が進行中の浜岡原発へ視察に来たタイミングと被ったようだった。
 
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展望台での「安全対策」説明の模様。非常に形式的なものだった。


◆ 完璧メイクの職員女性二人と消防団員たちは、エレベーターで最上階の展望台に上っていった。何とはなしに、ぼくらもそのまま後を追う。冒頭に掲示した写真のように、ガラス張りの窓から眼下に原子炉建屋とタービン建屋を臨む絶景の位置で、彼らが「浜岡原発の施した緊急安全対策」について説明される様子を観察する。

◆ あらゆる反原発の人々から「不十分!」と罵倒される「安全性」についてプレゼンしているのは、誘導役である完璧メイクの彼女だ(別のフロアで新設防波壁の実寸モデルを解説する際は、中部電力の社員らしき男性が後ろから説明を見守っていた)。



「…このように非常用ディーゼル発電きぃえkヴぉでぇぁ、、失礼しました‥このように非常用ディーゼル発電機によって外部電源が絶たれた状態でも安定して原子炉を冷却することが可能となっております…」



◆ 完璧メイクの彼女は、終始完璧笑顔のまま、ところどころその危なっかしい理解度を表すかのように「噛み」ながら、いかに浜岡原発が徹底的な安全対策を行なっているかについて、説明する。

おそらくは自分でも何を喋っているのか分かっていない人間による「安全対策」の解説、滑らかな美声の棒読み、そして、神妙に聞いている側も自分たちが「何を」耳にしているのか理解していないであろう傾聴の図。

福島での事故を受けての対策について言葉が発されているのに、目の前の光景はそこからひどく遠いもののように感じられた。

◆ とはいえ、完璧メイクの彼女たち、消防団の青年たちからすれば、ぼくとYさんの方がよほど不審な存在だっただろう。一体全体、夏休みでもない平日の真昼間から、親子でも夫婦でもなさそうな微妙に年と服装のズレた男女二人連れが、原子力発電PR施設という特殊な場所に一体何をしに来ているのか?どうやらテンションの高い反原発団体の人間ではなさそうだが…?

正直なところ、その疑念へシンプルな答を出すのは、難しい。

◆ ひと通り「安全対策」について「説明」し終わると、完璧メイクの彼女たちに率いられた消防団員ご一行は再びエレベーターで階下へと降りていった。午後には発電所へ向かうのだろう。ぼくら二人も、再びぶらぶらと見学を再開する。

◆ 館内で展開される原子力発電のプレゼンは、何れも「完璧」だった。
単位燃料あたりの発電量、化石燃料の残存量、CO2、BWRの自己制御性(すなわち軽水炉に固有の安全性)、原発五重の壁、核燃サイクルとプルサーマルの意義、地層処分の必要性と安全性…。いずれも「嘘」はないのだが「省かれている」ことは多い。マイナスの情報は徹底して排除されている。都合の悪いことにはいっさい触れない。
だから、「正確」とはいえない。しかし、原発のウソもまた、感じられない。


原子力のプロ、「ユウユウ」 


◆ キャラクターによるイメージ誘導が効果的だと信じられはじめて以降、日本のどんな場所でもそれは目にすることができる。無論、浜岡原発も例外ではない。
至るところで「ユウユウ」という雑なデザインのゆるキャラが見学者の前に現れ、発電所の安全性を徹底的に啓蒙してくれるのだ。

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他にも、「色々な地震対策が考えられているんだね!」「しっかりと安全へのとりくみが行われているんだよ!」などなど、イイ塩梅の台詞が目白押しでした。


◆ 館内では、原子力に関してユウユウが把握しない項目は存在せず、ありとあらゆる問いに易しく答えてくれる。ユウユウは、そのしまりのない形態からはまったく想像もつかないほど、おそるべき「原子力のプロ」なのだ。きっと、いかなる「原発のウソ」も軽々と論破するだろう。Twitter上で鋭く反原発を説く反逆の原発キャラクター「もんじゅちゃん」「プルト君」との全面対決が望まれる。


イメージできない事故と、廃炉への道行


◆ 午後になって原子力館を出たあとは、数キロ先の御前埼灯台に登り、そのあと再びYさんがアヴァンギャルドな運転をするカングーで浜松駅まで送って頂いた。
趣ある灯台の下では、ますます勢いを増すでたらめな暑さの中、売店で買ったアイスを齧りながら二人でデタラメな会話をした。やたらゲラゲラ笑っていたので、売り子のバアさんは暑さのせいで気が狂ったと思ったかもしれない。


「船越英一郎とか出てきそうだな、ここ」「もろに火サス的な場所」「なぜかいつも高台で殺人を告白するアレですね」「やっぱ、ぼくらも何かしらそういう人々に見えてるでしょうかね?」「いきなり首とか閉めちゃったりしてね」
 

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再び御前崎灯台より。遠くに浜岡原発の排気筒が見える。 


◆ 暑さと連動するようにグングン青さを増す海は、やはり圧倒的に穏やかなまま。沈黙のなかで遠く地平線がスフマートで消失している。津波のイメージは、湧かなかった。活断層で隆起した地面がタービン建屋につながる配管を破壊したり、排気筒を倒壊させたりする姿も、想像できなかった。ついでに、3.11以後、地震で誘発される可能性が高まったと噂される富士山の噴火も。 

◆ が、だからと言って強気な原発容認・推進派がことあるごとにTwitterで訴える内容に同意する気も、まったく起きない。曰く、「防波壁工事終了後は速やかに再稼働GO!中部電力は民主党による不当な停止要請の損害を請求せよ」と。

◆ 現時点で、ぼくは消極的な原発容認の立場を標榜しているのだが、すべての発電所を運転再開させるべきだと言う気はさらさらない。なんであれ、物事には優先順位というものが存在するが、地震列島の、しかも地殻活動期に入ったとされる日本のあり得べき核エネルギー利用という観点からみて、浜岡原発は遠くない将来に閉鎖するしかないだろうと思っている(ユウユウには違うエネルギーを啓蒙する方向に転職してもらう)。

◆ あの超・牧歌的風景から核災害などというイメージがまったく湧き上がってこないのは確かだし、「ていうか、もう津波なんてこないんじゃない?」というトンデモ・平和ボケ的気分が芽生えることも否定出来ない。

◆ しかし、既にぼくらは「福島」を知ってしまった。それは、もはや引き返すことのできない「体験」だ。ならば首都圏からの距離や東西の輸送路をはじめとして、あらゆる意味で「万が一」すらも許されない場所という立地、しかも観測による東海地震の確率上昇など、「これでもか」とばかりに悪条件が積み上がってゆく原子炉を無理やり使い続けるのは、核と共存すべきと考える人間にとっても、理性的な行動とは言えない。どれほど強固な安全対策を施そうとも、慎重すぎるほど慎重にならなければいけないケースというものは、存在する。

◆ 幸い、中部電力の保持する発電能力中に占める浜岡原発の割合は、他の電力会社と比べてさほど高くはない。これは、廃炉、撤退という決断を(比較的)容易にする。
中部電は浜岡原発の停止に伴う火力発電の代替燃料費確保によって2012年4-6期連結決算で100億を超える赤字を出しているが、将来的な電気料金の値上げや節電などで何とか対応するしかない。立地交付金に依存する御前崎市にも(閉鎖が決まっても、当面は核燃料が残り続けることもあって)補助金を出すことが必要だ。

ノーリスクで、何事もなかったかの如く、「さよなら原発」という訳には、いかない。


「まるで原発など【なかった】かのように」


◆ この日の夜は名古屋に泊まったが、市内に住む友だちと久しぶりに酒を呑んだ。
彼女は実家が名古屋にあり、福島第一原発で3号機が爆発したことを切っ掛けに東京から避難したのだが、帰ってみると、関東圏との温度差に驚いたという。

「誰も放射能とか原発のことなんて気にしてなかったよ。拍子抜け」当時、そう苦笑していた彼女自身も、3.11まで特に浜岡原発のことなど意識したことはなかったという。透明な原発。見えない原発。放射能も見えないが、原発もまた、「見えない」

いや、「見えて」はいるのだが、認識することを避けてきた。
まるで原発などないかのように生きてきた日本の、奇妙な、虚構的リアリティ。

◆ それは今またゆっくりと復活しつつある。「まるで原発などなかったかのように」したいという欲望として。「そんなものは必要ないんだ、というか、なかったんだ!」だからすべて、「ただちに」なくしてしまえという急性反応。ニュークリア・ヒステリー。
そういえば、もう一年以上も中部電力が浜岡発電所の原子炉をすべて停めていることを指摘して、「いまや名古屋は原発フリーだ!きれいな電気をじゃんじゃん使おう」だなんて言うものすごいツイートがRTされてくるという狂乱状態。

◆ この「お祭り」はいったいいつまで続くのか?電力会社と日本政府が根負けしてバンザイするまでか?それとも、韓国、中国、アメリカ、ロシア…世界中からすべて原発が消えるまで?

◆ いずれにしても、これまで「きれい」ではない電気を大量に生み出し続けてきた数多の核燃料も発電所もずっと残り続け、消えて無くなることはない。
「なかったかのように」は、できない。できないのだが、いずれはみんなウンザリしてしまい、それを選択するだろう。「なかったかのように」ふるまうだろう。

原発は、再び「見えなく」なる。

その日がきたら、ぼくは再び浜岡原発を訪れてみたいと思っている。
「見えない」ものを観に。