休日の昼下がり、私は天啓を受けた。
「そうだ、献血行こう」
そう。これからの時代は献血ではないか。
そうだそうだ!献血だ!献血時代だ!と脳内民衆たちを召喚させるほどに我がテンシ
ョンはわけがわからなくなっていた。これだから天啓は怖い。

私は献血に行ったことがない。
しかし献血への興味は旺盛にあった。憧れとさえ言ってよい。
それはきっと私がアラサーにも関わらず、やや健康厨であるということに一因があるのだろう。

毎朝白湯を飲んでみたり、プチ断食ダイエットを施行したり、友人に通販で買えるおすすめ青汁を紹介してもらったり、ストレッチしたり、たまに走ったり、帰り道にひと駅前で下車して歩いたり…。そんな私にとって献血はなぜか「健康にいい」イメージがある。ネットで調べると私のようなわけのわからない「献血=健康にいい」イメージ所持者は一定数いるみたいで、そういう人たちが質問サイトで書き込みなどしている。だが、献血が「健康にいい」という真偽は定かではなく、むしろデマっぽい、が、さりとて身体に悪いわけではなく、むしろなんらかの作用はありそうだし、まぁそもそも健康体でないと献血は出来ないのだから定期的な献血は健康維持の定点観測として利用できるんじゃね??みたいなことがアンサーには色々書かれていて、とどのつまり、よくわからない。


そしてまた、献血への憧れは女性の月経に対する畏怖に重なる。
女性が男性に比べ圧倒的に長命であるのも一時期までの月経にあるのではないかという健康厨な理由もあるのだが、ただ単純に女性が周期的に出血をすることに私は憧れのようなものがある。時間と血が交感する円環的営み。「女の子の日」という神秘性(女の子の日!)。吐き気、苦痛を伴う儀式。何か女性の身体は男性よりもずっと宿命めいたものを抱えているように思える。
女性の身体は男よりも血を流し、新鮮な血を再生/循環させるのだろう…ああ俺も血を抜きたい…そして新鮮な血を作りたい…しかし、どうすれば?…あ、献血があるじゃん、という、以上の妄想連続コンボで私は献血に無闇矢鱈な憧れを持ったのだった…
じゃあ、なぜ、今まで献血をしてこなかったといえば、私はたまに貧血をしていた時期があるので、勇気がなかったためである。
ただそれは20代前半の頃の話だ。当時、私は今よりも10kg以上もやせていたのだ。
が、もう、大丈夫だろう。
ちょっと太ったし…


かつては友人が献血体験談をしようものなら「あ―、俺も献血行ったことあるよー」などと嘘をついたりもした。「うんうん、ジュースとかチョコとかもらえるよね、うんうん」などとどこかで聞いたウワサに枝葉をつけて語ったりもした。

しかし、もう、そんな罪深い日々ともおさらばだ。

ドヤ顔で献血体験談に参加し、献血非経験者がいれば上から目線で批難する自分を想像しながら、私は即座に手元のiPhoneで近所の献血ルームを検索した。


(続く)