とても久しぶりに書きます。

11月初旬は下界では秋だが、でも、山はもう冬だ。
つまり小屋締めの時期になるなので勤務終了、下山することになる。冬の間は温泉旅館やスキーロッジで働いた。肉体的にも精神的にもきつく一度体調を崩し2週間ほど寝込んだこともあったが、無事に勤務を終了することができた。

3月の終わりにスキーロッジでのバイトが終わり、東京の実家に戻ったのも束の間、翌々日には群馬県前橋市へ赴いた。そこの某美大予備校へ通う手続 きをするためだ。なんでわざわざそんな遠いところへ行ったのかというと、学校の校長がフランス某都市の美大卒業生で、その予備校では留学のための講座を設 けているからだ。東京から通うとローカル線で片道4時間かかってしまうので、近くにアパートを借りた。幸いなことに家賃相場は東京の半分以下、周りが畑な ので野菜が安くて美味い。小麦がとれるのでうどんも美味い。
当時、前橋駅の北側はシャッター街、南側の大型ショッピングセンターだけやたらにぎわっていた。よくも悪くも典型的といえる地方都市に1年間暮らすことにした。

留学をめざす講座は当時私1人だけだった。そのほかに昼間に学校に来 るのは浪人生や通信制の学校の生徒たちで私を含め全員で4人。夕方以降は高校生が通っていた。
昼間は、あーでもないこーでもないと何が何だか分からないま まそれでも何かを作っていた。最初のころは幾度もダメ出しをくらい、落ち込む日が続く。夏・冬休みは相変わらず山で出稼ぎ、学期中は地味に生活、時々東京 へ帰るという生活をしていた。

フランスの国公立美術大学の入試システムは、日本の美大芸大のそれとは大分ちがう。試験会場で制作する場合 もあればない場合もあるが、一番重要なのはそれまでに作った作品を担当の試験監督に見せてプレゼンテーションをすることだ。逆にいえば、たった15分位の 間にそれまでに作った作品を見せ、説明し、質問に答えることが満足にできなければ、1年間の苦労も水の泡となってしまう。

私は日本の美大へは行っていないのできちんと比較することはできないが、フランスではどんな媒体であろうと作品そのものだけでなくそれをどのような環境に置くかについて、根拠と説明が求められる。それは作品と同じく、評価対象の重要な要素となる。だから空間も含めたプレゼンテーションというものを強く意識させられる。

受験時には様々なハプニングがあり、思うように作品を発表できるとは限らない。会場が狭かったり、汚かったり。発表が終わっていないのに「時間切れブー」と言われたり。わざと意地悪な質問を投げ、こちらの精神安定を乱そうとする試験監督もいる。しかしそれらをどう対処するかを考え準備することは、その後に続く空間への意識に繋がっていたんじゃないかと今になって思う。

また、受験時に高度な技術があればそれで良いというわけでもないらしく、入学することによって変化し、成長する可能性を秘めていると見なされなければ合格するのは難しい。

前橋で暮らした翌年の4月、受験のために渡仏した。

(続く)