一方で、誰かを認識することは受動的なことだ。これは不可避だ。求めに応じて、記憶の道筋にある、彼女について知っていること、先行する出会いの数々、エピソードなどを外に出してこれるのは、彼女や彼が名前をもっており、現前する個人(またはイメージや写真)と名前と感じられたもやもやしたもの、それらの混合物の周辺が一種ざわめいているからだ。感情的émotifなショックには認識がないことはないように見える。そのショックは私たちの物事の知性や意志に先行しているだけだ。うまくいっていればどんな場合でも、顔認識能力は一時的慢性的障害に陥ることはない(《顔貌失認prosopagnosie》は今日存在している神経科学や人工知能の多くの研究のうちの一つで、現象の情報処理モデルの構築の可能性から刺激を受けている)。あたかも、私達の人間性が、特に子供の頃に基礎をもっていて、出生後のしばらく、それが自分に向けられた微笑みに微笑みで応えているかのようだ。《微笑みで認めよ》(ウェルギリウスが「微笑ミデ認メナサイcognoscre risu」と言っていたように)。そしてそこで、はじめは奇跡的であると同時に幻想的に現われるものをもとにして、その発達の輪郭の基礎が形作られる。

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2011年10月2日

先日、わたしは自宅で酩酊して、「わたしは仏陀よりキリストより偉い」と口走った挙句、トイレの便器で嘔吐。妻によれば「ぼくが神なんだ。この世界はぼくのもののはずなんだよ。なのに何もかもうまく行かないんだ」とも言っていたらしく、さすがに寛容な妻も閉口したという。もちろん酔いが覚めたあとは妻に謝った。

昨日、精神科に行ったところ、主治医に開口一番「調子悪そうですね~」と言われ、会社に行けないことなど話をしたところ、薬の種類が変わり、経過観察しながら、休職も検討しましょうという話になった。一安心というか不安が増したというか複雑な心境だが、何もかもしたくないし、あまり死にたくはないのだが、とにかく寝ているのが唯一の楽しみで、我ながら頭がだいぶおかしくなってしまっていることは分かっているので、三年前、主治医に言われたことを思い出した。

「最終的には薬は止められると思います。ただ長い闘いになりますよ」。

全くその通りだ。人生の酷薄さを噛みしめざるを得ないが、やがてやや朗らかに暮らせる日も来るであろうと自らに言い聞かせて、前へ前へと進まざるを得ないのだ。ああ、なんと憐れで安っぽいヒロイズム無しに、わたしは生きられないのだろう。本当に憂鬱になる(鬱状態とは別な意味で)。もはや笑うしかない。

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みなさん初めまして。これを読んでいる方もエンソフのメンバーの方も殆どが「初めまして」なのでとにかく初めまして。私は2009年よりフランスに住んでおり、パリから電車で40分の郊外・セルジーという町の美術学校に通っています。

これから書こうとしていることは留学をめざすようになってから今に至るまでの経緯ですが、正直ブログで自分の過去を曝け出すのはちょっとどうかと思っていました。ただ、もし記事を書く目的が私にあるとすれば、現在の視点から過去を思い返した際、その節々の場所的・社会的・経済的環境etcが自分の思考・行動・表現にどんな影響を与えていたか、そして現在や未来のそれとどのように繋がるのかを把握することはフランスで美大生をしている以上、重要なんじゃろなと考えた点にあります。

この記事は、だから何よりも自分の為に書こうと思うのです。
とは言っても、多くの方に読んでいただければ幸いです。


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キリーロフ「くっくっくっ、愚かな人間どもよ。われこそは、新世界の神になる男、ハイパーメディア神人キリーロフ様だ。私がクリエイトとするハイパーメディア幻獣を使って、ネオ四大幻獣の封印を解き放ち、グローバルスタンダードと高学歴ワーキングプアで腐りきったこの世界に、真のIT革命をもたらしてやろうぞ。フッハハハハハ」

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仲里依紗は天才だ。

 ルックスが微妙な自称美人に「仲里依紗に似ているよね〜」と意地悪を言う人は少なくないが、仲里依紗(以下、仲さん)に似ている一般人がブサイクなだけで、仲さん本人は絶対に美人である。反論は一切、認めない。

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 太宰治の「女生徒」をたまたま読み返した。
 

 本当は「富獄百景」が読みたくて岩波文庫の『富獄百景/走れメロス』を風呂につかりながら読んでいたら、たまたまそれにぶつかったのである。

 「女生徒」の冒頭の文章はわりに有名だろう。普段文学作品を手に取らない人も知っていたりするのではないか。

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[承前]

わたしは2008年の夏ころからうつの為、精神科に通っている。言うまでも無くウェブ上において、精神的に問題を抱えている人々がいろいろなことを書き散らしているが、わたしにとっては、うつであっても日々日記(のようなもの)を書くことが、命綱になった。そのようなあり方でしか、わたしはわたし自身をドライブすることができないのだということに改めて気づかされた。さいわい、休職して8ヶ月が経ち、うつの症状はかなり和らいで、多少己の人生に対する意欲もでてきた。これを機に、自らのうつがどんな具合だったのか、できる限りふりかえってみたい。このことによって、うつが悪くなったらすっぱり更新を止めるつもりだが、一人でも多くの方にうつがどんな具合の病気なのかを知ってもらいたいので、しばらくうつ日記のエントリとそれ以外のエッセイ、翻訳のエントリが交互にポストされることになる。どうぞよろしく。


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序章 離れた音楽(聴取に関する熟考における)

木が木を打ち鳴らす恐ろしい残響に突然驚かされ、夢を見ない深い眠りから目覚めた。その音はわたしの意識の中でのみ生じた音響的なできごとだったのか?―物語も持続的な時間も無い一瞬の夢―それとも物理世界におけるリアルな音だったのか?その音は寝室から生じるサウンドとしては長すぎた。これは家のどこか別の場所から、エコーの響く場所、ミステリアスで離れた場所から、音がやってきたことを示唆している。あの音が、家の寝室以外からやってきた音だとすれば、わたしは侵入者の存在を、可能性としてではなく、確信する。そのサウンドはたった今から生じたもので、今に属している。つまりわたしの記述以外のどこから生まれたものでもない。


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