I-Ⅲより続く


IーⅣ

《記憶 mnemosyne》についてたちかえりたい。まず、思考の内部での表象作用である《記憶》というものを眺めてみる時に、記憶を司っている傾向性である《想起 anamnèses》の在りようを初めに考えていきたい。…つまり、なぜ想起とは可能になりうるのだろうか。もっともシンプルな説明であると思えるのは、その時々の必要性に応じた意識下の、前ー言語的な記憶が、無意識と意識の連関によってひきあげられるためである。また、もうひとつすぐに思いうかぶのは、視るひとが視られる対象をまなざすときに、その対象へと関心が集まる現象学で呼称する《志向性》に、《想起》が表裏一体となり連動しているのではないかということである。ひとの認識はたとえば視覚においていうなれば、ゲシュタルトで説明されうるように、意味づけられること≒既知の事象のふちどりが浮き上がり輪郭をもって識別されうることに他ならない。

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(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)

何かおかしい朝


テントの中が明るくなるころ目を覚まし、いつものように短い瞑想をした。そして出発の時に慌てないよう、洗面する前に寝袋や着替えをダッフルバッグにしまおうとしたが、全然はかどらない。だるいということはないけれど気力も集中力も続かない。

何かがおかしかった。

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IーⅡ
より続く


IーⅢ

 情景の断片に、奥行きの断片を得ることで、遠近法的視座が構成される。そこに時間感覚の断片が参入することで、その場所はリアリティをもったみずからの身体が位置する空間として展開する……。これらバートランド・ラッセルが《センス・データ》と呼んだ断片的な知覚情報とも言いうるものらを集積し、思考のうちでも記憶における想起(anamnèses)を経て再現前するさいには、《イマージュ》と《思考》のあいだに横たわる狭間ほどの非言語的ためらい、空隙を関知するだけの寸断を与えられることはない。このように、瞬時に単なる環境情報としてのセンス・データ集積を日々、とりわけて意識せずにも人間の知覚にもって行われる理由とは、断片的な情報――角度、色、明暗、長短を時間という連続性の導入によって――《空間》として僕らのまえに現前させるための、視覚野にかかわる事象であるからなのだろうか。また、《リズム》と《音楽》に関してならば――鑑賞者と演奏者(成作者)との相対性をすえおいて考えると――メロディとは、客観的な世界を流れる時間によって、聴き手に対し能動的に与えられるものである。ある人間の意識をつなげる主観的な時間でさえも……試しに心内で何かのメロディを思い浮かべるだけでもいい。みずからの内奥でくちずさまれるリトルネロとしての、そのはざまから音楽はいつかの聴覚を経て、植えこまれた楽曲の…精度の程度はあれど、内面化された時間感覚のなかを進んでゆく。音と音、リズムと拍が、時間に繋がれたものとしてメロディになる。

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Remainders_of_ suicides_00
Photo: My HANDMADE Photo-Object『Remainders of suicides』 #00

『THE TOKYO ART BOOK FAIR 2016』

 I will be participating in 【THETOKYO ART BOOK FAIR 2016】 in Kita-Aoyama, Minato-ku, Tokyo, scheduled for September 16-19, 2016. 

my Group:『Photobook as object Photobook WHO CARES』
BOOTH FOR EXHIBITING: A / INTERNATIONAL / Tracking No: 19

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Remainders_of_ suicides_00
『Tokyo Art Book Fair 2016』出品作、『Remainders of suicides』 全景(仮)

告知:『THE TOKYO ART BOOK FAIR 2016』

◆ 件名の通り、9月16~19日に港区北青山の『京都造形芸術大学・東北芸術工科大学 外苑キャンパス』で開催される国内最大のアート・ブックフェア、『THE TOKYO ART BOOK FAIR 2016』に出品します。(フェアに関しての詳細は、運営の公式ウェブサイトを参照して下さい)。

◆ 参加するグループ名は"Photobook as object Photobook WHO CARES" です。ブースタイプは A / INTERNATIONAL Tracking No:19。曳舟に拠点を構えるギャラリー・スペース『REMINDERS PHOTOGRAPHY STRONG HOLD』(以下RPS)が企画したブースになります。以下、グループ全体のコンセプトを公式FBページから引用します。

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おこ少女
画像出典:Flickr/撮影:しゃれこーべ

「援助交際」と前インターネットの世界

 1996年の新語・流行語大賞。「援助交際」という言葉がトップテンに入賞した。その時、僕は田んぼに囲まれた学校に通う高校3年生だった。
 テレビや雑誌は女子高生ブームの真っただ中で、ルーズソックスを履いた女子高校生がメディアに登場し、身の回りについて語っていた。一方、僕の高校ではルーズソックスを履いた女子は一人もおらず、援助交際の噂も流れず、女子高生ブームはまるで外国の流行のようだった。
 
 僕がインターネットに書き込みを始めたのは1998年からで、だから女子高生ブームはインターネットが普及する直前のムーブメントだったと思う。すべての情報はテレビ局と出版社から伝えられ、当事者の「生の声」に直接触れることは困難だった。たとえば2000年代半ばの「アキバブーム」の場合、当事者の言葉はインターネットに溢れており、メディアで流れる言説についての当事者からの「ツッコミ」も簡単に得ることができたのだった。
 
 つまり、女子高生ブームは当事者性のない、完全にメディアによる自作自演の空虚なムーブメントだったのではなかろうか。そんなことを思ったは、村上龍の『ラブ&ポップ―トパーズⅡ―』を今さらながら読んだことであり、かねてからの違和感を感じたからだった。

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無職を利用してボランティアに行ってきた-1から続く)

西原村―2016/5/20

 さて、今日は何処に行こうか。
 西原村のように辿り着くまでに骨が折れそうな所は最後に回して、やはりJR松橋駅までの送迎がある宇城市かな?と、目覚まし代わりの軽い朝風呂の後で、荷物を整理しながら考えていた。

 その時、「今日は何処に行くんですか?」と、同じく荷物を整理していたボランティアと思しき男性に声を掛けられた。彼は僕より少し年上、四十代半ばといった所だろうか。「送迎があるんで、宇城市にでも……」と言ってから同じ質問を返すと、彼は「昨日もなんですけど、今日も西原村に行こうと思ってます」と答えた。

 僕は<チャンス!>とばかりに、「どうやって行かれるんですか?ボラセン(ボランティアセンターの略)遠いですよね?」と聞いてみた。そうして返ってきた予想通りの「車で来てるんで車で」という回答に、僕は「乗せて行って貰えないですか?」と間髪入れずにお願いすると、彼は目を丸くして、「え?宇城市に行くんじゃないの?」と驚いていたが、「本当は西原市に行きたかったんですよ。でも西原市は足が無いと難しいので、宇城市にしようかと考えていたんです。宇城市は駅からの送迎があるので。でも、もし良ければ……」と事情を話したところ、快諾してくれた。

 車中で自己紹介をすると、彼と僕は同じく福岡、しかも同じ福津市在住との事だった。それから、彼の苗字は昨日車に乗せてくれた方(この方も福岡在住だった)と同じで、おまけに僕と同じく現在求職中だった(以降この男性をM氏と呼ぶ事にする)。

 西原村のボランティアセンターは開くのが遅いそうで、コンビニに寄って朝飯を食べると、ドライブがてらに西原村の周囲をグルっと回る事になった。道中では仮設住宅が建築中だったが、これが仮設といった雰囲気はなく、むしろしっかりとした普通の木造二階建てといった感じで驚かされた。

「高齢者が多いだろうし、長丁場になるだろうという事からですかね?」とM氏に意見を聞いてみると「うん、それか、後に転用するとか?それにしても立派だよね」と返ってきた。

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